静かな稲垣吾郎がそれでも悩みを口にする傑作映画、「窓辺にて」
ほぼ公開が終わってしまった2023年1月7日、都内で唯一上映していた恵比寿ガーデンシネマで、「窓辺にて」を観てきた。もっと早くに観ていれば、何度か観られたのにと後悔した。
そう思うくらいには、心に刺さった映画である。
いい映画はプロットをひとことで言えるなどというが、ウソだ。「窓辺にて」をそのように表現すれば「妻に浮気された男が嫉妬できなくて悩む話」となる。面白くもなんともない。また、映画のキービジュアルが喫茶店で女の子とおじさんが向かい合っているだけのじつにありきたりな絵ときている。上映時間が143分というのも高いハードルだ。
そういう数々の障壁を乗り越えて観に行くと、たいへん面白い体験が待っている。
よかった点を列挙してみよう。
・主人公に稲垣吾郎を持ってきた
静かなたたずまいがこれだけ似合う人はなかなかいない。困っているときに困った顔をするのは凡人のすることで、稲垣吾郎はけっして顔をしかめない。それでも、悩みを抱える主人公の心の襞がきちんと伝わってくる。
・執筆シーンが一度も出てこない
フリーランスライターの主人公を含めれば、作家が三人出てくる。なのにペンを握る姿もキーボードを叩く姿も一度も写らない。描写しないことでより深く描くという高度な技を観ることができる。
・俳優の演技力を引き出すセリフ
作家を描くなら、誰でも執筆シーンを出すだろう。そのほうが俳優も演技しやすいだろうし。でも今泉監督はそれをしない。大きな文学賞を受賞した女子高校生作家はフリーランスのライターを気に入って、ときどき会って話をする関係になる。最初にふたりで喫茶店に入ったとき、彼女は彼の意見も聞かず、「フルーツパフェふたつ」と注文する。ちょっと浮世離れした行動だ。こういういいセリフで、この人はふつうではないということをうまく表現する。俳優冥利に尽きるのではないだろうか。観ているこちらもうれしくなる。
・大事なことは言葉にできない
この映画は長い。なぜ長いのだろうと考える。言葉の専門家である主人公が自分の悩みをなかなか言語化できないせいではないか。だんだん主人公市川の心のうちが言葉になっていく過程がとてもスリリングである。この映画の主題は「愛」ではなく「言葉」なのではなかろうか。
・劇中に出てくる本がリアル
市川の書いた小説、女子校生作家が書いた二冊の小説、妻の浮気のことが書かれた小説、いずれも存在感があって、読みたくなる。劇中劇みたいなものだけど、フィクションの中のフィクションに力を持たせるのってすごく難しい。
・感情の幅が狭く、描写が細かい
市川は優しそうにみえるし、人の話をよく聞く。いろいろな相談事を受けるくらいだから、信頼だってある。しかし、喜怒哀楽が薄く、感情の幅が小さい。全編通じてたいした事件は起きないのだが、だれ場はなかった。小さな変化がずっと面白いのである。
・「ふつう」ってなんだっけ
ふつうは人間にとって聖域だ。人の数だけふつうはある。ようやく悩みの中身を口にできた市川は、相談した人にことごとくその言葉を否定される。気持ち悪いとまで言われる。市川のふつうが他人のふつうとあまりにもかけ離れているからだ。ふつうってなんだっけと考えずにはいられない。
・説明をしない
物語に説明的なところが皆無である。理に落ちたりもしない。かといって行き当たりばったりというわけでもない。なぜかすべてのシーンに納得がいく。スクリーンのなかに生きた人間を映すということは、説明しないということと等しいのではないだろうか。
・言葉が豊富でキレイ
説明をしないわりには言葉が豊富である。タイトル通り、窓辺にてずっと誰かが誰かに向かって喋っている。言葉がきれいだ。監督のオリジナル脚本はとても純度が高く、夾雑物がない。
・じつは群像劇である
3組のカップルが出てきて、不倫相手2人が出てくるから主要人物だけでも8人。ほかにもパチンコ店で隣になった女性客とか面白たっちゃんと呼ばれているタクシー運転手とか、個性的な人物が登場する。その描き分けは見事。混乱もしない。
といったわけで、2時間越えの映画がすーっと頭の中に入ってきた。稲垣吾郎の代表作となる一本だと確信する。ファンの方にはもちろんお勧めだし、映画好きにもお勧めしたい。配信やレンタルが始まったらぜひご覧になってください。