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【ショートショート】忘れがたい味
宇宙船に乗りこんで二年たつ。
メンバーは操縦士、宇宙物理学者、歴史学者、哲学者、詩人の五人。
じゅうぶんな訓練を受けてきたので、密室の中で大きな揉め事がおきることもなく、あと数十日で木星基地に到着する。
宇宙旅行で耐えがたいことはいくつかあるが、もっとも大きいのは食事だ。
毎回、チューブ食である。栄養は同じだが、飽きないようにいろいろな味覚が用意されている。ちらし寿司風味もあれば、インスタントラーメン風味も、ステーキ風味も、お好み焼き風味もある。
「カレーライス」
と詩人がつぶやければ、乗組員たち全員の口がカレーになる。操縦士はカレー風味のチューブを配る。
「こんなのはカレーじゃない」
というのは禁句だ。憬れのカレーに近づけたことで満足しなければならない。
甘味が恋しくなった物理学者は、
「あんパン」
と言ってみる。
操縦士は食料倉庫を検索し、希望者にあんパンチューブを配る。
「これは漉し餡だな」
と歴史学者がうなずく。
ある日、哲学者が、はっと思いついたように、
「サンドイッチはあるか」
とたずねた。
長い航海のなかで一度も出なかったリクエストだ。
操縦士は首を振った。
「意外な落とし穴だなあ」
「ああ、BLTEサンド」
と詩人が情熱的な声を出す。
「ベーコン、レタス、トマト、卵、熱々のトースト!」
と食いしん坊の物理学者が追随する。
「ちょっと待ってください。ベーコン味もレタス味もトマト味も卵味も単独ならあります」
と操縦士がウインドウを観ながら答える。
「ほんとかね」
「混ぜ合わせてみよう」
四種類の液体をそれぞれのコップに注ぎ分け、いっせいに口にした。
「うげっ」
口のなかに形容のしようもない微妙な味が広がった。
それ以来、チューブを使った調理は禁止となった。
(了)
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