30代独身外科系女医、突如として迎えた「人生の夏休み」

某科外科医として某年。所謂バリバリのハイパー系人間ではないが、細々と外科医を続けていた。
また、当方は生物学上女である為、所謂外科系女医である。特に当方が所属している科は女医が少ない。
加えて、いつの間にか30代に突入していたが両親以外の一親等(一親等になりそうなパートナーも含め)もおらず、職業も相まり世間的には独身貴族という立場になっていたようである。
様々な意味合いで世間から若干奇異な目で見られつつ、日々過ごしていた。

手術をはじめとする診療を安全・確実に行っていくのは勿論、緊急入院や、緊急・準緊急手術等、イレギュラーな動きが珍しくはない日々。
上記に備え、様々な勉強、シミュレーションを行うのは当たり前。
加え、独り身として当たり前にこなさなければならない日々の生活。
昨今の時世を踏まえ、少しでも貯金せねばとも考えつつ、自炊等も最低限だが続けていた。

「当たり前のことをそれなりに」こなしていたつもりだった。

医師の働き方改革が話題になっているとはいえ、当直明け夜まで働くことは当たり前のことだと思っていた。
科内でオンコール制度があるが、状況確認の為土日出勤することも、
上司の「勉強不足」「○す」(丸部の内容については想像にお任せする)「早く誰か見つけないと一生独りだぞ」「子供つくれなくなるぞ」という言葉も、
当たり前のことだと思っていた。


ある朝ベッドから起き上がることが出来なくなった。


医学生時代の薄れゆく知識から、「あぁ恐らく適応障害かうつ病かな」とベッドの中でぼんやりかつ何故か冷静に考えていた。
重くぼやけた頭を使って職場に欠勤の連絡をし、数日経ってからなんとかベッドから這い出し精神科を受診した。

初手で頂いた仮診断は「抑うつ状態」だった。

「あぁそうか、うつの元となる状態から離れて原状回復するかどうか、確認しなきゃ確定診断はつかないんだっけな」と思いながらぼんやり主治医の話を聞いていた。それ位の思考回路はショートせず残っていたらしい。

同日、一定期間休職する様にと言い渡された。
こうして私は療養期間という人生の夏休みを突如として迎えることとなった。

(「人生の夏休み」という表現は不適切なのではないか、という声が聞こえて来そうなのだが、これくらいの表現をしないとどうにも心がより重くなりそうなのだ。お許し頂きたい。)


療養といっても入院を要するレベルではなかった為、睡眠薬を寝前に内服する以外、やることがない(勿論、心身を休めるという大事な任務はある)。
どうしようもないので、いつの間にかとんでもなく散らかっていた自室を片付けることにした。

教科書以外久しく手をつけていなかった本棚は、沢山の埃をかぶっていた。
なんとなく著者順に本を並べ直していた中、敬愛する星野源氏の著書「そして生活はつづく」が目に留まった。

著書内の或る章「生活はつづく」には、以下のような一節があった。
著者が過労で倒れた際、母親に看病されていた場面である。

***

 そしてある日、過労で倒れた。
 役者として出演していたある舞台の本番二日前、急に熱が出始めてしばらくして動けなくなった。救急病院に連れていかれ、過労だと言われた。
(中略)
「つらいよ゛う、過労でだおれたよ゛う」
 と言い、涙を流しながら母親の手を握った。
(中略)
 すると母親は、半笑いで言った。
「過労?……ああ。あんた、生活嫌いだからね」
「え?」
「掃除とか洗濯とかそういう毎日の地味な生活を大事にしないでしょあんた。だからそういうことになるの」
 なんだかわからんがその通りだ、と朦朧とした頭で思った。
 私は生活が嫌いだったのだ。できれば現実的な生活なんか見たくない。ただ仕事を頑張っていれば自分は変われるんだと思い込もうとしていた。でも、そこで生活を置いてきぼりにする事は、もう一人の自分を置いてきぼりにすることと同じだったのだ。

***

抑うつの影響なのか、他の本はパラパラと開いても上手く読めなかった。
しかしこの文章は、何故かスッと頭に入って来た。
今思えば、ゴミだらけの部屋の中にいた自分自身が、心のどこかで求めていた言葉だったのかもしれない。


「30代独身外科系女医」と「私」。いつからか解離していた。
そして、より礎となる「私」が壊れた。
ただそれだけのことだ。


療養期間は一定期間とは言われたものの、復職は未定である。
それまでは「30代独身外科系女医」は休業し、「私」と向き合い続けなければならない。
仕事は続けるかもしれないし、続けないかもしれない。今は何もわからない。


誰かを励ますための闘病記でもない。はたまた誰かに同情して欲しいわけでもない。
只々、「私」の記録の場として此処を使わせて頂くこととした。
いずれは仕事のことも差し支えない程度に記載を始めるかもしれないが、それも含めて「私」が何を見て何を感じたのか、気が向いた際記録できたら、と思う。
周りくどい表現だが、要はただの日記である。


最後に、良く言えば健忘録、強く言えば戒めの為に、同上著書・同章からの一節を記すこととする。


***

 そんなわけで生活をおもしろがりたい。
 しかし、ただ無理矢理生活に向き合いだけじゃすぐに飽きて同じ失敗をしかねない。むやみに頑張るのではなく、毎日の地味な部分をしっかりと見つめつつ、その中におもしろさを見出すことができれば、楽しい上にちゃんと生活をすることができるはずだ。


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