妹がほしい
最近猛烈に妹がほしい。実際私には年子の妹がいることにはいるのだが、何せ九州に住んでいるので年に2回くらいしか会えない。こんなに暇なこともあり、東京に妹がほしい。
気を遣わずに私に似合う、似合わないをしっかり判断してくれる存在がほしい。信頼できるセンスを持ち、私の迷っている物事をそのセンスでどちらに選択すべきか教えてほしい。ワーワー騒がずに、盛り上がることもなく、特段楽しいわけでもないけれど、一緒にいてほっこりして、ときどき慈しみ、その美しい横顔だったり眉間にしわを寄せて「美味しい」というのを見て、あぁ彼女の姉で良かったと節々で感じるのが、年に2回では足りなくなった。月2で感じたい。
私の妹は九州在住の美しい女性ランキングでトップ20には入ると思うくらい美しい。身長も高く、小顔で、スタイルも良く、目もこぼれ落ちそうなほどに大きい。よく父が「目が落ちる」といって妹の目の下に手で受け皿をつくっていた。父の目は柿の種くらいしかないし、母の目も特段大きいわけではないので、どういう遺伝子がどうなってか妹の目はまんまるで本当に大きい。目が大きいだけでなく、パーツそれぞれの配置も絶妙で、要するにただの美人だ。自分が姉ということ、自分と血が繋がっていることが本当に信じられない。
年子だが妹は本当に「妹」で、今でも自分よりずいぶん年下に感じる。見た目こそ私の一つ下だが、私の感覚としては子供のころのままで止まっている気がする。だから妹がアルバイトをしている姿を見たときは感動したし、成人式の振袖姿はラインの写真でしか見てないが号泣した。就職先が決まったときも泣いた。あんなに小さかった妹が、いつも手を引いて電車に乗っていた妹が、大人になっていることが本当に信じられない。
とはいえ妹と仲が良かったのは本当に小さかった頃と私が大学に入ってからで、それ以外はお互いに猛烈な反抗期で大喧嘩ばかりしていた。喧嘩して壁に穴もあけたし、ぶったたいたりぶったたかれたりもした。二人とも気が強いのでよく大声を出していたように思う。
正直、中学高校時代に妹と何を話していたかとか、どういう風に同じ家に住んでいたのかなどの記憶が曖昧だ。高校時代は特に記憶がない。学校は別々だったし、妹とご飯を食べることもなくなっていたように思う。そもそも家庭が完全に崩壊していたので妹のみならず家族と会話したり過ごしたという記憶が全くと言って良いほどない。
そんな環境下で育ったのは妹も同じなので、何を言わずともあの空間を乗り越え「今」を掴んだ同志というか、生存者として強いつながりを感じざるをえない。妹と二人で会っても当時の話はあまりしない。どちらも正直あまり覚えていないからだ。断片的な話をして、「へぇ」とか「あぁ、あったね」とかそのくらいだ。でもいつも姉妹共通して言えるのは「今が一番幸せ」ということ。そして今の幸せは確実に、あの頃がなければ感じ得なかったものだよねとよく話す。
いっしょに暮らしていた頃は、妹とは趣味も合わなければ話も合わないし、自分よりずいぶん可愛いから「あの姉妹の可愛い方、ブスな方」の「ブスな方」担当だった私は常に劣等感を抱いていた。学校に出かける準備をするときは洗面所の大きな鏡を二人で分け合って使っていたが、鏡に映る自分の顔と妹の顔を比べて朝からいつも憂鬱だった。ちっとも妹を好きになれなかった。それでも妹、家族であり何か妙に心配になったり気になったりしていたのも事実で、姉ぶって色んなことを指図したり聞かれてもいないアドバイスをしたりしたこともあった。
離れて暮らし始めてから、急に妹が愛しくなった。本当に急にだ。自分でもびっくりするほど妹が可愛くて可愛くて好きで仕方がなくなった。良く使われる表現だが、本当に驚くほどに、離れてからその存在の大きさにまんまと気がついた。同じ環境下で同じあのドブみたいな空気を吸い、同じことで怯え同じことで怒り悲しみ、会話こそしないものの、妹がいたから孤独にならなかったのかもしれないと今なら思う。どれだけ支えになったか知れない。
妹からは頼まれてもいないし頼りにもされていないのに、無意識的に私はいつも「姉」であって、妹の見本にならなきゃいけないという使命感みたいなものがあった。その使命感だけが唯一私を律していた。もし妹がいなかったら今自分が本当にどうなっていたかわからない。
何もなく何もできず何の取り柄もない私に、たった一つ「姉」という役割を生み出してくれた。だらしがなく性格も悪い、家族を愛せもしない血も涙もないこんな人間に存在価値なんてあるのだろうかと思っていた。だからこそ姉であるというのは、私の唯一の存在意義だった。
私には妹がいる。でも物理的な距離が遠いので、もっと手軽に会えたうえでこの重さもすべてまるごと引き取ってくれる妹がほしい。けれどもそんなのはやっぱり、たった一人の、あの妹しかいないのかもしれないなと思う。