愛おしさは不完全なものに芽生える
コーギーが好きだ。一丁前の犬ですよ、という面構えをしておきながら手足が物凄く短い、あの犬。以前散歩をしていると、ゴツめの門構えをした家からけたたましい犬の鳴き声がしてビックリしてしまった。どんな恐ろしい番犬なのかと思ったら、短い手足を必死にバタつかせてコロリとしたコーギーが駆け寄ってきた時には思わずホリがモノマネする城島茂のような顔になった。
「おぎやはぎのメガネびいき」というラジオ番組が好きだ。あの二人はいつもいつも、何年経っても、とにかく完璧にこなせない。物や人、場所、とにかくありとあらゆるものの名前が出てこない。歌もうろ覚え。この間木村カエラのbutterflyを小木さんが口ずさんでいたが、「♬バータフライ バータフライ おまえーたち♬」と歌っていた。結婚を喜ぶ歌に「おまえ」などという単語が入るはずがない。調子が悪いと眠くなり、キャラメルコーンもボリボリ食う。はりきったラジオパーソナリティからすると、こんな体たらくな姿勢で良いのかと思われるかもしれないが、それが良い。
ポムポムプリンが好きだ。あんな面して自信満々に「ゴールデンレトリバーの男の子」と言うのだ。どうかしている。嘘をつかないでほしい。
「全然似てないけど似ている」モノマネが好きだ。モノマネにおいて大事なのはこの絶妙なラインだと私は思っている。本人の完コピだと面白くないし、かと言って全く似ていないアレンジだらけのものはモノマネとは言えない。時々お腹が痛くなるくらい笑わせられるモノマネに出会う。そういう時私は、心底喜びを感じる。
生き物も人もお笑いもキャラクターも、完璧なものも素敵だけれど愛おしさを感じるのはどれも少し足りていないものなのではないかと思う。完璧なものは手にしたいし眺めていたいけれど、愛する対象ではなく、憧れや心の拠り所になるものなのかもしれない。
ふと、自分はどういうものが好きなのか、何を愛おしいと思うのかを考えた時に共通するのが、その「不完全さ」だった。そしてその不完全なものが、完璧を目指そうとしている真摯な姿勢に人並みならぬ感銘を受けるし、ついでに愛が芽生えてしまう。
コーギーがもし「自分手足短いんで」みたいな面構えをしていたり、短いことに甘んじてテレンパレン歩いていたら好きではないと思う。おぎやはぎが番組中一回も噛まずに、記憶力も抜群で、ハキハキ進行していたら、リスナーにはなっていない。ポムポムプリンのフォルムが完全なるゴールデンレトリバーだったらと思うと少し怖いし、X JAPANのToshIには興味がないけれど永野がモノマネをするToshIは大好きだ。
生きているとつい自分の不完全さにばかり目がいってしまい、自分はダメな人間だとばかり思ってしまう。けれど、自分のその不完全なところが、ある人にとっては愛おしさの対象になるのかもしれないという一縷の希望がないこともない。そう思って下腹部についただらしのない重みをつまみながら、甘いドーナツをつい、食べてしまう。この不完全さに愛おしさを覚えてくれる人は、どこかにいるのだろうか。