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11年目 自分語り

2011年3月11日から11年経った。
私にとって死ぬまで忘れることが出来ない東日本大震災。
時間軸の基準が「東日本大震災前/後」になっている東北の人は多いんじゃないだろうか。
あの日から11年経ち、私の父・祖父・祖母2人は震災とは一切関係なく、病気や寿命でこの世を去った。
震災前から友人と飼っていた猫もつい先日亡くなった。約21歳、大往生だった。

11年とはそうした月日である。
変わらないことなどはなく、全てが変わっていく。私自身だいぶ歳をとったし、趣味嗜好や考え方も大きく変わったと思う。部屋から一歩も出ずに一週間も生きられた人生だったが、コロナ禍からアウトドアに目覚めたりもした。私を古くから知っている人は本当に驚いているだろう。何より自分が一番驚いている。まあ、アウトドアと言っても、結局やることはテントや車の中でYouTube見たりSNS見たり漫画読んだりで部屋の中に居るときとあまり変わらないけども。

海を見に行くのが好きだ。
海のそばで車中泊をして、早朝海を見ながらする散歩もとても好きだ。
私が巡るのは11年前すべて流されてしまった所が多い。
復興道路が新しく整備され、きれいな道の駅や施設などがどんどん建設されていく。
海岸沿いは進撃の巨人に出てくるような巨大な防潮堤の壁が続き、海沿いの道路から海岸線が見える所も少なくなった。味気ないけれどしょうがないことだ。

今年1月、トンガ沖で発生した海底火山の爆発のせいで1~2メートルの津波が日本で発生した時があったのを覚えているだろうか。
あの時私は沿岸のとある道の駅で車中泊をしていた。
夜中突如鳴り響く防災放送とサイレンの音に、震災のことが思い起こされ恐怖で体が震えた。が、ハザードマップのアプリで現在地を確かめ、津波が到達しない場所であることを確認してようやく落ち着いた。
それから明け方までサイレンと警報は何度も繰り返され、眠れない夜を過ごした。
図らずも、沿岸での災害発生の疑似体験した事でより立体的に311の時に沿岸の人たちがどれだけ恐ろしい思いをしたのか(当然全てをわかり得るわけではないが)その片鱗には触れられたような気がした。

毎年言っているが、震災から11年とか人間は区切りをつけたがるが、これからだっていつ大地震が来てもおかしくないのである。今こうやってのほほんと文章を打ってるそのさなかにも、マグニチュード9超えの地震が起こるかもしれない。
結局、私達に出来ることは、普段から災害に対する備えを怠らないことしかない。備えがあるのと無いのではそれこそ「起こってしまった」時雲泥の差が発生する。
震災の時、用意周到だった母は、乾電池・ろうそく・懐中電灯・ラジオ・ポータブルテレビなどしっかり完備していたので長い停電なのにも関わらず相当QOLが保たれていたのには感心したものだ。

長々駄文を垂れ流してしまったが、結局私が言いたいことは「備えあれば憂いなし」の一言で済むことであった。
しっかり備えて生き抜いていきましょう。


震災遺構 陸前高田ユースホステル(2022年2月13日撮影)


奇跡の一本松(2022年2月13日撮影)


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不自井由子|ふじいゆうこ
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