祖母の最期に思うこと。
祖母が亡くなった。
多発性骨髄腫を克服したが、腎臓病と認知症で
自宅と病院を行き来することが2,3年続いて
最期は意識もなく、けれどもゆっくり弱っていったので、
みんなともお別れできたし、夜中にじいちゃんが見守る中、
ゆっくりと、眠るように、息を引き取ったそうだ。
覚悟はできていたけれど、あっというまに行ってしまった。
僕はばあちゃん子ではなく、ばあちゃんとの思い出もそんなにない。
ばりばりのじいちゃん子で、ばあちゃんが亡くなったことよりも、
寂しくて、悲しくて、やるせないじいちゃんの姿がいちばん辛かった。
今まで知らなかった、
じいちゃんのばあちゃんに対する「好き」があふれていた。
泣いたのも初めて見たし、馴れ初めも初めて聞いた。
「生きてるときは歯がゆいけれど、いなくなったら寂しい。」
「魂はどこで、何をしているのだろう。」
そんなことも語ってくれた。
人が亡くなると、悲しむ暇もなくやることが多すぎてバタバタしていたが
今回、いろんなことを思った。自分自身はどうなのか?
気持ちが落ち込むのと同時に、自分の生き方がとても揺らいだ。
パートナーを看取れるか
自分は結婚(婚姻関係)にこだわらず、
尊敬できる人といっしょに暮らすのが夢 である。
関係性より生活のシェアに重きを置きたいのだが、精神的な拠り所という意味でパートナーは欲しい。という気持ちが強くなった。
半面、そんなきらきらしたことばかりじゃないのも現実で、
いざパートナーを看取るとなると、自分は耐えられないと思った。
結婚(婚姻)のメリット
手術の同意・面会・延命治療
亡くなってからの手続きはほんとにたくさんある。
健康保険、銀行口座解約、年金、医療保険など。
すべての手続きについて行ったけど、配偶者であるとなんでも
手続きがスムーズだった。当たり前だけど。
手術の同意書だってサインできる。面会もできる。
じゃあ結婚(婚姻届け)すればいいじゃないか。と思うかもしれないが、
結婚した方が手続き上楽だからというのはどこか冷たい。
結婚していなくてもそれに準ずる制度があればと思ったりする。
同性の場合はパートナーシップ条例などで保障されるようになってきた。
「実質的な家族のカタチ」というのはたくさんある。
異性でも、同性でも、2人でも、3人でも、1人と1匹でも。
ヨーロッパでは結婚していないパートナーも法的婚姻関係と同等の権利を認める法律もある。
『民事連帯契約』とは、近年ヨーロッパで急速に広まりつつある法的制度。
結婚していない同棲者を保護するために、スウェーデンで初めて制定。
異性、あるいは、同性のカップルが、婚姻より規則が緩く同棲よりも
法的権利などをより享受出来る新しい家族組織を国家として容認する制度。
いずれにせよ、「生き方は逝き方」で
いろんな選択肢があるし、それがもっと増えてほしい。
今を生きられるのは、人生でたった一回きりなので
ちゃんと自分で選んで、そのなかでいっしょに走ってくれる
伴走者が見つかればなと思う。
魂はどこへ。