見出し画像

過剰な障害者擁護について

先日、スレッズにて過剰な障害者擁護を謳うポストが流れてきた。

内容はいちいち覚えていないが、よくある障害者の権利を主張する奴の発言だ。
障害者を障がい者とか書いたりする奴の。

俺は障がい者なんて言わない。

少し、自分の事を話すと、従姉妹に口唇裂の子がいる。
口と鼻の穴が繋がって生まれてきた従姉妹だ。
手術をし、徐々に治していったが、小学校の頃は鼻の下に線路の様な縫い目があった。

小学校でよくある誕生日会をした時に、友人がそこにいた従姉妹を見て、
『あ、鼻曲がりだ!』と小さな声で言った。

そこで俺は生まれて始めて障害者に対しての偏見を垣間見た。

小さな俺は友人に怒ることも出来ず、ただただ身内に投げかけられた言葉が、悲しいのか、悔しいのか、怒っているのかも分からずモヤモヤした。

今は医療の発展で、その従兄弟も傷跡もなく綺麗な38歳のババアになっている。

それも忘れた頃、小学校高学年になった俺は、保健室が好きでよく授業をサボって保健室にいることが多かった。

そこには、一学年下のダウン症の女の子【ゆうちゃん】と、手足の指が2〜3本ずつしかいない男【きた】がいた。

ゆうちゃんは、見たことある人は想像できるであろう普通のダウン症の女の子。
きたは、手足の指の欠損をコンプレックスに思っていて、人とのコミュニケーションを拒否し、悪さばかりするヤンチャな奴だった。

そんな小学時代を送った俺だ。

昨今、ポリコレを背景に言葉狩りが横行している。
上記の害をひらがなにする行為もそうだ。

対障害者に触れ合ったn数が少ない俺が言うのも何だが、
別にあいつら普通の人間と変わらない。

どっかしら、何かしらが不自由なだけだと俺は思っている。

時々、渋谷駅で山手線から降りる時に、白杖ついたろう者がいる。
乗降人数が少ないときは別に放っておくが、混んでる時は声掛けてサポートする。
ろう者って、視覚以外の四感が優れているから、
ある程度の場所まで行けば、目が見えなくとも自分で目的地までたどり着けるんだ。

助けたいけど勇気が出ない奴に、どうやってサポートするか教えといてやる。

先ずは、肩などを軽く叩いて、サポートが必要か確認する。
「混んでいますけど、サポート必要ですか?」って言ってりゃあいい。
その後は、「どこまで案内しますか?」だ。
大体、「改札外までお願いします」とか、「スクランブル渡ったTSUTAYA前までお願いします」とか言ってくる。
で、実際に連れて行く時のコツだが、白杖持ってる手と反対側の手を自分の肘に持ってきて掴んでもらう。
この時、ドラクエみたいに真後ろに来るように並び、自分の背中を相手に向け、左手が空いてりゃ左の肘辺りを掴む様に促す。
その後は、自分が先導し、群衆をかき分け、目的地まで着いたらバイバイだ。

それだけであいつらは随分楽に生活出来る。

コレくらい時間が余ってたら誰でも出来る。

俺が出来ることはそんくいだし、過剰に困っていたり、迫害を受けた障害者と触れ合った事は無い。

小学校の運動会で、ゆうちゃんの手を繋いで行進するのは俺の役目だったし、
授業中に暴れて、歯止めが効かなくなったきたをなだめる為に保健室の先生から呼び出しをくらった事は何度もある。
きたは、何故か俺の言う事だけは聞くやつだった。

そんな障害者との触れ合いの中で、俺は別にこいつら普通じゃん。
社会生活を営む上で、ちょっと個性が不自由なだけだとしか思わなくなった。

それよりも、陰湿なイジメする奴とか、理不尽な不良とか、そんな奴の方が俺から見たら異常だった。

ぬるい

そう言われてしまえばそれでオシマイだが、俺は障害者を可哀想な奴だとは別に思わない。

過剰に権利を主張したりするより、ちょっとした優しさで、
コイツラが気持ちよく過ごせるよう助けてやりゃあいい。

人のサポートは気分いいぞ。

偽善でも何でもな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?