「武庫川の向こう側」

僕という人間を決定的に性格づけた経験がある。それは武庫川での魚とり。五、六歳の頃、毎週父親と自転車で30分かけて武庫川へ魚捕りに行った。夢中になって魚を追いかけた。  
以下はダサかっこわるい武庫川の向こう側の話。

僕はかねてから不思議だった。絶対に自分が勝てるゲームは面白くなく、とてつもなく頭がいい人の答えは正しいけどワクワクしない。なぜだろうかと。
郡司ペギオ幸夫さんは絶対に自分が勝てるゲームを人工知能=一人称的知性、自然科学のような正確な答えを自然知能=三人称的知性と呼んだ。そして人間の本分は天然知能=一・五人称的知性だと言い、「向こう側感」と名付けた。

やっぱそうか!

ワクワクの正体は天然知能。自分の外部を受け入れること、見えないものを受け入れる姿勢、それが向こう側感。僕は向こう側感が好きだ。武庫川で魚とりをしていた時の向こう側感。一目惚れの人に告白する時の向こう側感。外堀を固めて告白成功率を高めようとする奴がいたが僕はそういうやり口が嫌いだった。
向こう側に手を伸ばすと痛かったり、気落ち悪かったりする。だからダサかっこわるくなる。でもやめられない。向こう側感の無い生活には耐えられない。向こう側に何があるかは重要でない。向こう側そのものが重要なんだ。

向こう側には何かある。ないかもしれない。ただそう思うだけで生きることが楽しくなる。ぜひお試しあれ。

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