日記-2022.12.25
東京ー長野ー松本ー韓国ー東京ー実家ー京都を経て、
昨夜一カ月ぶり、豊岡に帰宅しました。
2週間の韓国の取材で、光州で亡くなった沢山の命、
脅かされた尊厳の叫び、今も消えない痛み、
その欠片をみぞおちに抱いて帰り、
帰国直後、祖母が急逝したと聞き、実感のないまま実家へ帰った。
死んだ祖母の顔はきれいだった。
喋り出すととまらない祖母の口は、死んでも塞がらなかった。
そのことを家族で笑い合った。
冷たくなった祖母の身体と同じ部屋で一晩過ごし、
わたしを抱く祖母の写真や、祖母の若い頃の写真、父が赤ちゃんの頃、伯母に抱っこされている写真を眺めた。
そして、命が消えた祖母の身体と、焼かれた骨を目に焼き付けた。
葬儀が終わって帰った実家で、(どういう文脈だったか)お前のへその緒あるで、と渡されたケースの裏には、わたしが生まれた日付と時刻、体重と身長が書いてあって、
父の名前、母の名前、
わたしの名前「藤原」のあとは空白で、
つまり、わたしの名前はまだなかった。
葬儀の翌日、しんしんしの踊りの本番(踊り:知念大地)で、
本番2日目、今年の踊りおさめとなる回、
しんしんしを始めてから、初めて踊りの時間で涙が出た。
(もちろん、泣くことが評価の軸ではない)
生きている、ということを見つめた。
わたしは、“これ”を大事だと思っている、
そして、“これ”が世界に必要だから、やっているんだ、と、確認するような時間だった。
生きていること、存在について、奪わせないこと、すでにあること、すべての尊厳について。
さっき、もう何年も前に創った映像作品を見返したとき、
かなりライトな作品なのに、今、大事にしていることが、細く、エビの背わたのようにあるのを発見して、驚いた。
身体が変わると、見つけるものも変わるから、今が過去をつくるのか。
どうしようもない現在のわたしの輪郭、
そして、大事なことをできる限り抱きしめながら沈んでいくこと。
2022年のおさめとして、記録しておきます。
意図せず自分の半生で縁のある場所全てに訪れた一カ月、
懐かしい人と再会したこと、交わした言葉、
半年は過ぎ去ったような、走馬灯を見たような、妙な、
でも、なんだかここからはじまりそうな、年末でした。