金継ぎ
*BFC3一次予選作品。
天空軌道から、0番線へ入ってくると連絡があった。ホームから見ると、二本のレールが遠近法の先へと消える地平線の辺りがほのかに明るくなって、その灯りがゆっくりと近づいてくるのがわかる。月だ。
新月が近いので、それほどまぶしくはない。
双眼鏡で接近を確認し、ブレーキをかける。二本のレールの上を移動してきた月が、大きく軋む音をたてて停止する。振動がホームにも伝わってくる。レールから湯気が上がる。月は重たいのだ。
こんな円盤が天空を巡っているなんて誰が思うだろう。こうして年に一度、月の点検がはじまる。その間、模様のない偽月が天空を巡ることになるが、新月をはさんだ三日間なので、気づく者はほとんどいない。
天文基地では、月に限らず天空軌道を運行する天体をここで修復点検して空を守っている。
まず、点検所の転車台に月を乗せ、北極側からフンボルト海の方向へぐるりと回転させながら、検査機器をあてて確認していく。三六〇度回転した後、月面を傷めないように気をつけて、ジャッキで持ち上げる。月の裏側が見えるが、もちろん地面は無い。
レールに近い裏側部分には、機械油と錆とが入り混じった澱がたまっている。それをオーバーホールして、正確に天空を巡り満ち欠けするように調整しておくのだ。言ってしまえば、天空を巡る巨大な時計みたいなものだから。
月の表面にも埃は積もる。こちらは月面を荒らしてはいけないので、それをピンセットでひとつひとつ取り除いていく。月面を踏んでの作業は不可能で、月の上にかかったクレーンに腹ばいになって、表面に触れないように、少しずつクレーンを移動させて作業を進める。
このとき、わずかながらある月の人工物に気をつけないといけない。著名なアポロ計画の遺物をはじめとして、サーベイヤー、ルナ、数多くの地球から飛来した人工物がある。
月で一番好きな場所は、やはりアポロ十一号の着陸位置だ。ルーペで覗くと、静かの海にはちゃんと着陸船の下降段が残っている。その脇にあるほこりをピンセットで取り除く。根気の要る仕事だが、作業時間も限られており、作業は夜通し続く。
日付が変わる頃、突然遠くで爆発音がした。点検所内に警報が鳴り響き、ほどなく照明が消えた。暗闇の中、月はほのかに蛍光を放っていた。クレーンの上でじっとしていると、「掠奪団だ!」という声が聞こえた。
月の欠片を身につけると、長寿が得られるとか、生命力が活性化するとか、幸運を呼び込むとか、怪しげな噂を信じる人は意外と多い。月の欠片を目当てに、点検時が狙われるのだ。警備も厳重になっているはずなのだが、それでも盗難はあとを絶たない。
実際に昨年の点検時にも、一部を削り取られたことが判明しており、よく見ると欠けたまま天空を運行していたのがわかる。今回は、そこも修復するはずだったのが、またこんなことになってしまった。
たとえ空に月が巡らなくても、手元に月の欠片を置いておきたい人なんているのだろうか。いや、そういう人がいて高値で取引されるから狙われるのだ。自分だけのものにしたいからこそ、月を壊してしまう。次の月が作れなくなれば、月の欠片の価値は上がる。きっと、そうだろう。
もう一度爆発音とともに、乗っていたクレーンが大きく揺れた。そして、そのまま月面を直撃するように倒れていく。
ぱりんと意外なほど高い音が響き渡って、クレーンの直撃を受けた月は割れた。月が割れるのをはじめて見た。辺りを懐中電灯で照らす掠奪団が、大声で叫びながらやって来て、砕け散った月の欠片を拾い集めるのが見えた。
自分はクレーンにひっかかったまま、その様子を夢のように見ていた。やがて、警備団が駆けつけると、何発も催涙弾が打ち込まれ、そのあとの記憶はない。
あとから聞いた話では、静かの海を含む、約三分の一が持ち去られてしまったという。そう、あの好きだったアポロ十一号の着陸船の下降段もいっしょに。
こうなってしまっては、修復に時間がかかる。いや、月をもう一度空に巡らせることが本当にできるのだろうか。困ったことになった。博物館に保存されている先代の月の部品でも利用しないと無理だろう。
しばらくの間、空には偽月が巡ることになった。ふだん夜空を気にしなかった人たちも、天文基地の点検所が襲撃されたニュースと、空にかかる模様もなにもない薄っぺらな偽月が巡るのを見て、あらためて世界の仕組みを知ることになったはずだ。それでも、この世界に暮らさないといけない。
それが嫌で火星に移住するなどと言いだす人もいると聞いた。もはや火星がないことも知らないのだ。仮に移住できたとして、火星の月は小さくて歪な形をしたフォボスだ。一日に二回、かなりのスピードで西から上ってくる月に満足するだろうか。
結局、盗られた三分の一の部分に、先代の月を足して修復することが決まった。古い月は少し黄ばんで色合いが微妙に異なるので、いまの月との隙間を丁寧に金継ぎをして埋めるらしい。しばらく元の月は巡らない。
あれから数ヶ月。夜空を眺めてみるといい。あの月の金継ぎ、自分も作業したんだ。いいだろう、あの継ぎ目。けっこう大変だった。いまはこうして、月を見ながら団子を食べている。そんなのも、まあ悪くないと思う。
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