ファシリテーションって何? ~モデレーションとの違いと個人的な経験から考える~
こんにちは!ヌーラボのエンジニアリングオフィスに所属しているkenshirooです。
ヌーラボのエンジニアリングオフィスは「エンジニアのやりたいをブーストします」を(暫定)ミッションにして、幅広くエンジニアの支援を行っています。
そのため私は会議のファシリテーションや、ワークショップの設計/ファシリテーションを実施する機会が多くあります。それらの経験から、ファシリテーションの楽しさや奥深さについてその片鱗を覗き込むぐらいはできるようになったかなと思います。
なので今回はファシリテーションについて、モデレーションと比較しつつ書いてみます。
(この記事は、ヌーラボブログリレー2024 for Biz Advent Calendar 2024 の 12月13日公開分です。ギリギリ間に合ったぞおぉおぉおおおぉおおぉ!!!!)
先に結論
ファシリテーター(ファシリテーションする人)は「その人たちと共にいる」ことが最も重要だと考えています。理論的な整理や時間管理は主にモデレーター(モデレーションする人)の関心ごとですが、ファシリテーターはそれだけでは足りないと思います。
ファシリテーションとモデレーション
ファシリテーションと似た言葉で、モデレーションという言葉が使われている場合もあるかと思います。そこで両者の違いを観点にしながら考えていきます。
私が調べた限り、学術的に全く違う言葉として定義されているわけではないと思います。ネット上では様々な人がそれぞれの視点で定義してくださっています。この記事ではその違いは主な論点ではないので、ChatGPTに違いを聞いてみました。
ChatGPTの回答
ファシリテーションは、グループのプロセスや対話を促進し、参加者が効率的かつ創造的に目標を達成できるよう支援する役割を指します。ファシリテーターは中立的な立場を維持し、議論の方向性を提示するのではなく、グループ全体が自律的に解決策を見つけるよう促します。
モデレーションは、議論やイベントの進行役を担い、議題に沿って話が進むよう調整する役割を指します。モデレーターは参加者間のやり取りを管理し、適切なタイミングで議論を収束させる役割も果たします。
所感
なんとなく違いはわかる気がします。
モデレーターに求められていることは論理的な進行みたいなもので、当初想定した予定通りに進めていく、ちゃんと時間内に終わらせる、のようなことです。
それに対してファシリテーターには、参加者を主体にすることが重視されているようです。
私なりに強引にまとめると、モデレーターの主な関心は「会議やイベントが事前の想定通りに進行すること」、ファシリテーターは「参加する人たち」にあるようです。
ファシリテーションの象徴的な体験
次は私の個人的な経験から、なぜ冒頭に書いたような考え方に至ったかを記載します。
ファシリテーションとの出会い
私が最初にファシリテーションに関心を持ったのは、新卒で入社した会社の3年目か4年目だかに、中途で人事専門職で入社された方(Iさん)がきっかけでした。
当時の私は木材加工の会社に勤めており、工場の生産管理業務などを行っていました。Iさんは現場のみなさんにも気さくに話しかけて、私たちの会議などにもよく参加してくれていました。
あるときIさんがファシリテーターをおこなう会議に出たことがあり、その時の強烈な経験が私とファシリテーションの出会いです。
普段の会議では、意見を言う人が偏る、発言しない人がいる、議題が発散してしまう、当初予定より会議時間が長くなるなどの課題がありました。
ただIさんがファシリテーターの会議だと、参加者皆が積極的に発言するし、議題が発散しないし、時間内にビシッと終わるのです。そして何より参加し楽しい会議でした。
その秘訣をIさんに聞くと、ファシリテーションという概念を教えてもらいました。「世にはそんな技術・手法があるのかー」といたく感動して膝を打ったのを今でも覚えています。
青山学院大学ワークショップデザイナー育成プログラム(以下WSD)への参加
ファシリテーションとの出会いから時は流れ、自分なりに本を読んだり機会があれば実践しながらも、本格的に学ぶことはなく自分流で実施していました。
2023年の8月にヌーラボに入社し、翌年5月からWSDというワークショップ設計やファシリテーションについて学習するプログラムに参加しました(会社から補助をいただきましたありがとうございます!!!)。
WSDの授業を通じてファシリテーションの理論や実戦の経験を積むことができましたが、講義の中で最も印象に残ったのが教育学者の佐伯胖さんがファシリテーションについて語っている教材でした。
佐伯さんはファシリテータは「その人と共にいる」ことが重要だと発言されていました。当時の私のファシリテーションの理解は、「ワークショップを円滑に進める」「ワークショップ参加者を、ワークショップの主題となるテーマに近づけるたり、参加者同士の関係性を深めるための活動をする」というような理解でした(ちなみに今でもこの理解が「誤り」とは思っていません)。
そのため視聴当時は、「参加者と共にいる」ということの意味がよくわかっていませんでした。
勉強会での出来事
そこから3ヶ月後ぐらいに、ある本の出版記念のイベントに出ました。著者の方も招いた出版記念イベントながら、ワークショップ形式で進むなかなか珍しいイベントでした(そうです、WSD同期の方が勤めている会社が主催です。同期の方がファシリテーションを務めていました)。
そのイベントで同じグループになった方に、「最近仕事に疲れている。何かのヒントが欲しくて参加した」という方がいました。
自分は当たり障りのないリアクションしかできず、「仕事大変なんだなぁ」といういかにも小並感の漂う意見しか出ませんでした。
イベントが始まりワークショップが進む中で、著者の方に質問する時間がたびたびありました。
その中で上記の「仕事に疲れている」という方が著者に質問されました。それなりにヘビーな質問だったのですが、著者はその質問に非常にパワフルな回答をされました。
第3者の私自身も元気づけられたのですが、回答が終わり質問者が座った後、しばらくすると啜り泣きする音、次第に声が出るほど号泣されていました。
その経験が強烈に印象に残っています。著者と読者という立場なのでファシリテーションとは違うと思うのですが、「その人と共にいる」ということの意味が少しわかったような気がしました。
初対面の方の思いを察知し、背中を押すような佇まいが「その人と共にいる」ファシリテーションとつながりそうだと感じました。
変容型ファシリテーション
さらにその1ヶ月後ぐらいに、「共に変容するファシリテーション」という著作を読み、変容型ファシリテーションというコンセプトを学びました。非常にざっくり言うと、参加者を観察して参加者の状態に応じて立ち振る舞いを変えながらファシリテーションを行うコンセプトです。
その内容が、佐伯さんがいうファシリテーション論や上記の勉強会での体験を言語化してくれたと思います。
僕の考えた最強のファシリテーション論
私の考えるファシリテーターの本質的な関心ごとは、やはりその場にいる人たちにです。
その人たちの可能性を開花したり、背中を押したり、とにかく参加した人たちを何らかの形にむかって「促進=facilitate」することにあると思っています。
ファシリテーターとモデレーターの振る舞いの違い
ワークショップの参加者が特定のワークで盛り上がって時間が足りそうにない場合、ChatGPTの定義での純粋なモデレーターなら「当初の時間の予定通りに何とか終わらせる」ための活動を行うはずです。
ただファシリテーターなら、ワークショップ全体の目的と当該ワークの目的、参加者の状況を見ながら、ワークショップの時間構成を変えたりして「参加者がよりその場を有意義に過ごせる」ための活動を行うはずです。
例えばワークショップの参加者の中で発言しない人がいた場合、ChatGPTの定義での純粋なモデレーターなら、それで問題なく会議が進行しているなら全く気にしないはずです。
一方ファシリテーターであれば、その人はなぜ発言しないのか、その人が発言しないことが当人にとって、その場にとってどんな意味があるのかを考えるはずです。
上記二つの違いのように、参加者が少しでも会議やワークショップの目的に向かって有意義に過ごせるよう支援するのがファシリテーターだと思っています。
ファシリテーションとモデレーションの使い分け
改めて、ファシリテーションとモデレーションの使い分けを私なりに整理します。一言で言うと、合理性を求めるならモデレーションです。議題と違う論点への移動を防ぎ、当初の会議の予定を粛々と遂行するようなケースです。
もちろんそれが悪いわけではないし、必要なケースもいくらでも思いつきます。
一方ファシリテーションは、参加者の皆さんが何らかの変化を起こしたい、新たな発想や関係性を築きたいときに必要な振る舞いだと思っています。課題はあるけどどう解決していいかわからない、そもそも現状認識が人によって違いすぎる、その人たちと共に前に進む必要があるとき、その支援ができるのがファシリテーションです。
まとめ
ファシリテーション熟達の道は本当に果てなき道だと思います。疲れます、大変です、いつまで経っても慣れません。
「発言しない人」は内容に興味がないのか、ついていけていないのか、萎縮しているのか、喉の調子が悪いのか、さまざまな可能性があります。その人に向けて、どんな言葉を、どんな声のトーンや表情や仕草などでかければいいのか、ベストな答えがわかるはずもありません。
それでも自分が憧れるような今まで出会ってきたファシリテーターに少しでも近づけられるなら、その大変さも安いものです。
そのために、今後もファシリ続けたいと思います。
ダジャレじゃないですよ。