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一打席目重要論!

 人生には様々な出会いがありますが、ここ最近、とても親しくお付き合いさせていただいているの人がいます。その方は新谷嘉孝さんという元プロ野球選手です。私たちが暮らしている伊勢市小俣町(旧度会郡小俣町)出身の大先輩です。現在、鹿児島県在住です。

 新谷さんは、地元小俣中学を卒業後、硬式野球の名門・三重高校に進学し、硬式野球部で活躍しました。そして、ドラフト6位で当時のロッテオリオンズに入団し、大洋ホエールズで引退するまでの12年間、プロ野球選手としてプレーしました。

新谷嘉孝さんってどんな人?
1、友人の父から紹介される
2、がんとの闘い
3、一打席目重要論

1、友人の父から紹介される
 元プロ野球選手で名前は聞いていたけどお会いしたこともなかった新谷さん。なぜ親しくさせてもらうことになったのか?昨年の9月に鹿児島から地元に帰省された時に新谷さんが私の友人のお父さん(以下N森さん)と一緒に私の事務所に訪れたのがきっかけです。

 新谷さんを連れてきた私のN森さんというのは、新谷さんと中学時代の野球のライバルで、高校で同じチームでプレーした大親友でした。N森さんからいつも新谷さんのお話は聞いていて、「新谷が戻ってきたら一度、大助のとこに連れていくわ。」と言っていました。その約束通り、N森さんが「新谷をつれてきたぞー!」と言って、大きな体した新谷さんを連れてきたのです。

 元プロ野球選手だから豪快な人なのかな?とか、体育会系かな?色々と想像しながらお話しさせていただいたのですが、新谷さんは最初から最後までとても気さくで優しい方でした。元プロ野球選手なので体は大きかったですが、とてもソフトなイメージでした。

 私の地元ではプロ野球選手になった方や甲子園で活躍された方など、地元野球界で伝説的な人が何人もいて、例えば、私の父も中学校時代は野球部だったで、その時のエースが新谷さんが憧れた上西さんという選手でした。この上西さんという方は春のセンバツ甲子園で三重高校が優勝した時のエースでした。私も幼い時から、上西さんという方の伝説的な話を父からよく聞かされました。新谷さんはその上西さんに憧れ、その方に続く地元野球界のスターです。

 私の事務所でプロ野球のエピソードや地元での昔話を私にしてくれました。また特に私の親父と新谷さんの憧れの上西さんや共通の恩師の岡田先生のことなどいろんな話をされていました。やっぱりプロ野球を経験した人の話ってのはとても面白い。

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 そんなこともあって、講演会をやりましょう!という話になりました。もともとN森さんから、新谷の講演を企画してほしいと頼まれていたのもあって、私はそう提案しました。

 新谷さんは帰省で1週間ほど地元に滞在していたと思うのですが、ほとんど毎日お会いさせていただいて、いろんなお話をさせていただきました。特に講演会については、「プロ野球選手としてはもっとすごい選手はたくさんいるけど、もし地元の人や子供たちに何かを伝えられるなら。」と意欲的でした。

2、がんとの闘い
 実は新谷さんは、昨年の3月にガンと診断され、ステージ4で余命も宣告されていました。当時、親しくされてる方からは「新谷はそう長くない。」というお話も聞いていました。自分の力では立つこともままならないほどまで体調も悪化していたらしいのです。

 しかし、治療の甲斐あって奇跡の回復を果たし、地元に戻ってこれるまで体調も安定していましたので、11月(昨年)の講演を予定しました。いろんな病気で闘病されてる人たちにも勇気を与えたい。そういう使命感のようなものも新谷さんの中にあったのだと思います。

 いったん鹿児島に戻られた新谷さんですが、体調管理をしっかりしていただいて、11月に講演のために再び地元に戻ってきてくれました。がんとの闘いは壮絶だとお話ししていましたが、主治医を信頼し、前向きに治療に専念しているようでした。

 その気さくで優しい人柄で多くの人に愛されていることも知りました。講演会を企画する中で、勝手に新谷さんの講演会の応援してくれる人が現れたり、何十年もあっていない人が「新谷にもう一度会いたい。」といって問い合わせの電話が何本もかかってきました。私は新谷さんを慕う人々の想いと再会のドラマにあらためて心を打たれました。

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 講演内容はとてと素晴らしいものでした。新谷さんはとても苦労をされた方です。中学時代に一家の大黒柱のお父様が病気で倒れられ、突然、家計が苦しくな中学校を卒業したら家のために働いてほしいと母に言われていたそうです。また、中学校の修学旅行では家にお金がなく、お金を持たせてもらえず、他大変恥ずかしく、悲しい思いをしたとか、大好きな野球をあきらめなけれあならないと不安を感じながら生活していたとか。

 豊かな時代に生まれた私たちには、なかなか想像もつかないほど大変な話を包み隠さずお話しされていました。

 貧しく苦しい中学時代。中学校の卒業が1日、1日と迫ります。そんな中、新谷さんの家庭環境と野球の才能を知る人が資金援助をしてくれることになり、なんとか高校に進学し、野球をすることができたそうです。

 そして、その時、貧しい家庭をなんとかしたい、お金を稼いで親に楽をさせたいという想いでプロ野球を目指すようになった。その執念は誰にも負けなかったと。

 苦難はまだまだ続きます。念願のプロ野球に入って初めてのキャンプ初日。いよいよスタートという時に母が倒れたいう連絡が入り、地元に戻るが、お母様がお亡くなりになられるという。信じられないめぐりあわせ。波乱万丈の人生をお話しされました。

 他にもプロでのエピソードも含めいろいろとお話ししてくれました。プロ12年間、一軍選手としては定着できなかったと新谷さんは謙遜してお話されていますが、プロのプレーヤーとして12年間プレーするのは並大抵のことではなかっただろうと思います。

3、一打席目重要論
 その時の講演会でもお話しされていましたが、新谷さんは「一打席目重要論」というものを主張しています。実は私も高校まで野球をしていたのですが、なるほどと思うところがあったのでご紹介します。

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 「一打席目が一番大切なんだよ。」と新谷さんは言います。「一打席目に集中しろ。」と。1打席目の内容が次の打席に影響を及ぼすということらしいです。例えば、1試合で3打席あったとしても、それは、1打席ずつ同じではなく1打席目が2打席目に影響を与え、2打席目が3打席目に影響を与える。とするならば、最も大切なのは1打席目なのだと。

 1打席目に例えば、ヒットを打てば、相手投手はヒットを打たれた打者に対して、今度はヒットを打たれないように色々と思考を巡らすことにもつながる。「心理的な駆け引きでも優位に立てるんだよ。」と新谷さんは言います。野球というスポーツは心理的なスポーツであることも指摘されていました。

 それに1軍に定着できていない選手は3打席必ず回ってくるわけではない。3打席も与えられない場合がほとんどなので、特に最初の1打席は生き残りのためには必要だったのだと言います。

 いずれにしても、1打席目の大切さを常にお話しされています。僕は野球をしていたといっても、弱小チームだったので、それほど考えずに野球をやっていたと思います。

 なんせ、三打席あるとすれば、三打席とも同じように考えていたわけですから。強豪チームで野球をやること、プロ野球の世界で生きていくことは、野球に対して何らかの哲学をもっていないとやっていけないのだと感じました。

 もちろん新谷さんもすべての人にこの考えが当てはまるわけではないが、野球少年に何かのヒントにしてほしいと講演でもお話しされていました。一打席目重要論。人生でも同じことが言えるのではないでしょうか。

人生でも一打席目を大切にしよう
 野球だけではなく人生も最初の打席に集中しよう。一打席目が次の打席に影響を与えることになるのだから。その一打席目を次の打席につなげていくためには、一打席目をいい加減にしてしはいけないということだと思います。次の打席のためにも今の打席を大切にするということでもあると思います。


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