職人の勘×科学
こんにちは。鍛冶師の藤田純平です。
世の中には職人の勘というものがございまして。
10年、20年、、と毎日のように続けていると自ずと大事なポイントが掴めてくるようです。
今日はそんな職人の勘と科学に基づいたデータとの擦り合わせのお話です。
科学的データの参入歴
時代は昭和初期。鍛冶屋にも機械化が導入されこれまでの人の手で作られた刃物と機械工場で作られるそれとが混ざり始めた頃。
人の手、つまり職人の技量や"勘"に委ねられていた時代とは違い、〇〇だから△△といった機械的な動きによるある意味制限された状況の中で刃物を作らなければならない時代に突入しました。
この時に取り入れなければならなかったのが科学的に裏付けされた出来る理由でした。
これには大変苦労された先人方がたくさんおられ、現代にも生きているデータも数多く残っています。
結果、全ての刃物作りが機械化されたのか、、といいますとそういうわけでもなく。現代でも手で作る職人さんは少なからず存在します。
そしてそれらの刃物を愛し長年ご使用される使い手さんも多くいらっしゃいます。
何が言いたいのかといいますと、機械では再現出来ない職人(人の手)でないと生み出せないナニカが存在しているのです。
魂だとか温もりといった感覚的な部分は今回は置いておいて、科学的目線でこの問いを考察していこうかと思います。
職人の勘の鋭さと危うさ
科学的に刃物を見ていきますと良し悪しには原因がある事に気がつきます。
刃物を割った断面を顕微鏡で見たり、鋼の成分を研究したり、焼入れ温度や焼き戻し、、。
などなど調べ物にはキリがありませんがそういった中で見えてくるものもあり。
この職人の物は断面の組織がこのような具合だから良い。又この職人の場合はこうだから悪い。
と、これまでは使ってみた人の感覚でしか言い表されなかった良し悪しが科学者の目線で使うこともなく判断出来るように発展してきました。
それがしかし、職人側はそんな事ちっとも思ってもいません。
長年の勘を頼りに、次々と良品を生み出せる者もいれば、知らずに悪い物を世に出していた者もいたり様々でした。
機械化を図るが為に職人やそれらの刃物を研究し紐解いていくうちに見つけた出来る理由を職人側は理解していない。
ましてや出来ない理由を理解させようなど。
このように確かに職人による勘の鋭さは存在するものの、人によりピンキリというのも事実。
そして、同じ人でも百発百中とはいかないのも紛れもない事実。
さて、では現代ではどうだろう?
職人の勘×科学
現代ではなぜ上手く出来たり出来なかったりするのか?というのを職人自ら研究しているのも珍しくなくなってきています。
自分の使っている素材の勉強や、処理法、工程の見直しや実験の繰り返しにより、科学的に抑えないといけないポイントを理解した上でものづくりをする職人さんも多くいらっしゃいます。
言葉にすればする程漏れてしまう部分もあり完璧に記す事は困難ですが、それ程までに抑えないといけないポイントが多いのです。
抑えられたらいいのではなく、抑えないとダメなのです。
厳しいです。どれか一つでも取りこぼす事があれば悪品の原因になってしまうのですから。
ただ、限りなく完璧に近い刃物を目の前にするとその美しさには堪らないものがあります。
そして、なぜ自分には出来るのかを知っている職人さんは皆揃って腰が低く「もっと良くなれる」と日々努力してらっしゃいます。
もちろん今でも百発百中とはいかないとポロリ。
でも失敗した理由もわかるが故、対策しながら進歩に変える術も知っています。
笑顔の裏の眼光の鋭さは職人としての勘に比例しているかのように今日も研ぎ澄まされています。
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歴史においても現代においても、驕らず生涯勉強し続けている人にこそ魅力が宿り成長し続けているのだなと痛感します。
厳しく顕著に表れるものづくりの世界には人を惹きつけるナニカがあります。
僕の作る刃物にもそれらが宿るように日々作業と勉強を続けていきます。
今後の活動資金にさせていただきます。