【エッセイ】わたしは "最後の客" でした
私は3年前からチェーン店の散髪屋を行きつけにしていると書きましたが、実は3年前まで、散髪屋に行ったことがありませんでした。
実家が床屋だったからです。
私は床屋の息子として生まれました。ですから、私の髪は、ずっと両親のどちらかが切ってくれていました。
入学式や運動会などイベントが間近に迫ると、「床屋のせがれがボサボサじゃ恥ずかしい」と言って、母には無理やり短くされたものです。(そんなに伸びていないのに・・・)
そんな母は、「(床屋には)定年がないからずっと働くんだ」が口癖でした。一方の父は、それほどの労働意欲はなく、何も言いませんでした。それでも二人でずっと店を続けていました。しかし、高齢になり、技術的にも心配になった上に、母は認知症の気配も出てきたので店を閉めました。二人とも70後半までは店をやっていたと思います。60で定年退職した私には、到底考えられないことです。
そして、店じまいした後でも、私の髪だけは父か母どちらかが切ってくれました。ですから両親にとっては、私が ”最後の客” でした。
そんな両親も、母が5年前、父が3年前に他界しました。私の髪は他界する数日前に父に切ってもらったばかりだったので、父にとって私は、”最期の客” かもしれません。
両親の死に装束は、迷うことなく店で着ていた白衣にしました。棺の中の寝顔も、白衣を着るだけで昔の面影が浮かび、何だか動き出しそうに感じたものです。今頃は、空の上で店開きしているかもしれません。しかし・・・
私はまだ客になるつもりはありません。たしかに私が ”一番のなじみ客” だったでしょうが、常連さんはそっちにたくさんいるでしょう? 私はあなた方と同じ年代になるまでは、こちらの世界を思う存分味わわせてもらうつもりです。
だからそれまでは、夫婦水入らずで頑張ってください、あの頃のように。