見出し画像

【エッセイ】自慢の母校と夢の同窓会

この校舎が私の母校です。
私はここで小学校の6年間を過ごしました。全国的にも指折りの、大規模な現役の木造校舎であり、卒業生そして在校生、みんなの自慢の校舎です。

母校は今年、創立90周年を迎えました。
学び舎は、耐震面での心配から、これまでも鉄筋コンクリートへの建て替えの話が出ていたようです。しかし、その度に地元の熱意により、原型を留めた改修工事を繰り返し、今に至っているとのこと。何もせずにいた私としては、その熱意に心から感謝せずにはいられません。

私は小学校最後の1年間を、この校舎の正面玄関の真上、針時計の真下の教室で過ごしました。この教室は他の教室よりもやや広く、みんなの憧れの教室でした。6年生は4クラスだったので、ここに入れる確率は25%。私は本当に恵まれていたと思います。

そんな母校の同窓会を2018年に開催しました。
集まったのは、50数名の同級生と恩師5名(入学時と卒業時の担任の先生)でした。
当時の校長先生の厚意から、40数年ぶりに校舎のなかを見学することもできました。校舎に入ると、廊下のささくれはなくなっていたものの、教室は当時のままでした。
教室での出来事や修学旅行や運動会、遠足やドッジボール大会など、同窓会は恩師と教え子が当時の記憶を蘇らせて語り合った、素晴らしいひとときになりました。

私はたまたま同窓会実行委員長を仰せつかった関係で、参加したみんなから「2年後にまたやってよ」と催促され、2020年での2回目の同窓会開催を考えていました。
さらに、参加されたある恩師の先生からは、それ以来、毎年年賀状をいただくようになりました。2019年元旦に届いた年賀状には、「来年みんなに会えるのを楽しみにしています」と、達筆な字で書き添えられていました。

私は、2020年10月10日の同窓会開催を心に決めていました。その日なら、東京オリンピック(1964年・昭和39年)生まれが、東京オリンピック(2020年・令和2年)の年の東京オリンピック開幕日(10月10日)に開催できるからです。これはまさに、私達の学年だけに与えられた奇跡だと思いました。それに、「20201010に56(歳)が集まるなんて、ゴロがよすぎるなあ」などと、くだらないことまで考えていました。
しかし、2年後は、当時予想もしていなかった未来が待っていました。

世界中を未曽有のウィルスが席捲し、みんなとの再会は夢に終わりました。そして現在でも、恩師や同級生との再会には至っていません。

そんななか、毎年年賀状をくださっていた恩師は、今年お亡くなりになりました。久々に通夜式でお見かけしたその姿は、穏やかに眠っているような、それでいて卒寿を過ぎてもなお凛とした表情を湛えた、素晴らしい生涯教師でした。(先生、再会できずにごめんなさい。長い間、お疲れ様でした。本当にありがとうございました)

私達は、今年60歳になりました。
還暦を機に、それぞれの学校でクラス会や同窓会が予定されています。自慢の母校の同級生たちも、「よーぴー、そろそろやろうぜ」と言い出す仲間が出てきそうです。

さて…みんなとの再会はどんなカタチがいいのかな?
半世紀前の思い出を頭に描きながら、そんなことを考えはじめた、今日この頃です。


いいなと思ったら応援しよう!