ネット時代だから本という「モノ」に拘った話
「レシピのないレシピ」という変わった名前の本があります。
このネット時代で、本が売れないとされる時代に、わざわざ上製本という製本形式の本を作るとは尋常ではありません。春夏とあるように、秋冬もあります。
しかも、この本は、題名にあるように「レシピ」を伝える本ではなく、食材と料理の写真と美味しそうな言葉だけが載っている本なのです。
そして、さらに変わっていることに、この本は、一般的な出版社ではなく、ウェブ制作会社が自主制作してAmazonで売っている本です。
ウェブ制作会社なので、専用サイトはしっかりあります。
なぜ、こんな本を作ったのか、興味を持った私は、発行元の代表に伺ってみました。一問一答ではなくご回答いただいた内容を記載します。
「食べたい」を感じられない若者たち
「何を食べていいかわからない」そう言ってただ栄養を摂るためだけに食べ物を口にする。
「一番うまいと思うのはコンビニのチキン」という声が聞こえ、ポテトばかりを食べる女性や、母親の手料理を知らない学生もいます。
食べるのめんどくさいけれど、食べないと死んじゃうから食べてる。若者がそうつぶやくのを聞いて、今一番足りないものは「食に対しての欲求」であると確信しました。
「おいしそう、食べたい!」そんな欲求がないと「作りたい!」にはなかなか到達しにくいものです。世の中は、おいしい料理の作り方(=レシピ)にあふれていますが、今必要なのはその前にあるはずの「おいしいものを知る」「食べたいと思う」ことではないのか。
本当においしいものを、おいしそうに感じられる、口の中に唾があふれるようなものをつくりたい。それがこの本をつくる一番の動機となりました。
紙というプロダクトの使命
料理をする時に、人が見るレシピは圧倒的にWEBが多くなりました。わざわざ本を買わなくとも、WEB上にはおいしいレシピがあふれています。そしてレシピに限らず、情報はWEBにある時代。ならば紙でできた本とは何なのでしょう?
答えはその「物質」としての存在感にあると考えます。
ひらけばそこにいる人が全員で覗き込むことのできるもの。その場に置いておいて、検索することなく目にすることができるもの。
ある意味本は生活の中に物質として存在する雑貨のようなもので、人々の暮らしの中にちょうどいい距離感で溶け込むことができます。
WEB上の情報は、検索しないとたどり着けないものです。それは興味を持った人しか到達しない情報。ひとの「食べたい」欲求を喚起するためのトリガーは、紙でできた本(=物質)だからこそできること、と考えました。
紙に描かれるものは、単なる「情報」であって欲しくない。紙で描かれたものは、心に響き、ずっとそばに置いておきたいようなものであるべきだと考えたのです。
つくり方より大切なもの
共働きの世帯が多くなった昨今、平日の料理は以前ほど時間をかけられないことも多いでしょう。そして、たとえばひとつの料理をつくるにも、惣菜キットを使う、手順を省く、作り置き食材を利用して…その時の状況によって、つくり方はいくつも考えられます。
もちろん時間のある時には、素材を選び丁寧につくることは喜びになりますが、工程を決められた作り方が、時に足かせとなってつくる気持ちが萎えてしまうこともあるでしょう。
だから、本の中には詳しいレシピを掲載するのではなく、あくまで図鑑のような「おいしい料理」の列挙にとどめました。
掲載されている料理はごく一般的なもの。名前で検索をかければいくつかの作り方が出てくるでしょう。そうしてWEB上にいくつもあるつくり方の中から、今自分ができるやりかたでつくればいいし、もし時間がないのなら、買ってくるのでも良いでしょう。つくり方にこだわるよりも、暮らしの中で「食べる」ことを楽しめることの方が大切だと思っています。
未来に残したいもの
この本は重厚感のある作りになっています。布張りのハードカバーの本は、今では印刷会社でもなかなか取り扱うことがないと聞きます。
本をデジタル化して持たない人も増えてきた昨今、わざわざそんな贅沢なつくりにしたのは、この本を「一生もの」として身近なところへ置いておいてほしかったから。リビングに1冊あることで、毎日の暮らしの中で開き、「食べる」を楽しむことを忘れない一生を送ってほしい、から。
季節の食材と、その代表的な料理を眺めているうちに、「食べたい」という衝動が、「美味しそう」という欲情が湧いてきて、例えば子供の「これ作って」という声に押されて家庭がシアワセに包まれて動き出す。
未来にあっても日本の良き食卓を再現させてもらえるように。デジタル化がより進んだ10年後の全ての家庭のリビングにこそ必要な、シアワセのためのバイブルとして、この「レシピのないレシピ」という本を世の中に送り出しました。
現代生活の記録としても良いかも
この話を聞いて、「いやー売れんだろう」と思ったのが正直なところです。でも、一方で、これが売れたら面白いなとも思いました。この時代に、布張りの本を出す勇気というか、蛮勇。面白い会社だなと思ったので記事にしてみました。
そして、代表の方が語った「シアワセのためのバイブル」というのは、理想的な形ではありますが、それだけではなく、もう一つ現実的な意義として、現代生活に関する資料価値が高いのではないかと感じました。
伺ったところ、料理は全て専門家の手になる物で、そのレシピについては、別途掲載したサイトを設けたとのこと。
*この本に掲載された料理は全て料理研究家の「藤野嘉子」さんの料理です。家庭料理が得意な藤野さんのレシピは本の中のQRコードから全て閲覧できるようにしました。どれも本当においしい料理ばかりです。また巻末には全ての料理に関して、ごく簡単なつくり方をいれました。料理が得意な方なら、このつくり方を読むだけで、似たようなものが再現できるでしょう。
この日本で、旬の素材を写真と共に解説、併せてその素材を使った主要な家庭料理を掲載するというのは、ありそうでない本です。家庭料理の作り方を書いた本はたくさんありますが、レシピばかりが先行し、しかも、いかに手を抜いて作るかに腐心しています。
食材の元の形、家庭料理の美味しさを知らない若者が多い昨今、本誌が、現代日本の食の資料としての価値も併せ持っているのではないかと感じたのです。
ちょっと面白い本だったので紹介してみました。