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ちょっと真面目にインクルーシブ教育について


JICA事務所の隣のホテルを離れ、
ホームステイが始まってから5日くらい経ちました。

哀しきかな、単独でホームステイなので
(他の隊員は2人ずつ。協力してやっている模様、ちょいと羨ましい)
1人でラパスの街をスタスタ歩けるまでには成長した。


さて、
先日、「当事者の経験から考えるインクルーシブ教育」という研修をオンラインで受けさせていただきました。
ゲストスピーカーは、JICAパラグアイ事務所の職員の方。
研修は任意でしたが、当事者の方のお話を聞けるということで、すぐに参加を決めました。


ゲストスピーカーの方は、(個人の感覚ですが)かなり周囲の理解と協力を得て人生を歩まれており、幼稚園〜大学までで経験してこられた、数々の具体的な支援のあり方を提示していただきました。

まとめの部分で、インクルーシブ教育の意義は「共生=学力」というキーワードが出てきたのが非常に印象的で、
大学でそのような研究を素人なりにしていた自分にとって、かなり有意義な時間になりました。

あ、わしは教育学部(初等教育の国語選修)だったのですが、
入学してから国語という教科に全く興味がなく、やさぐれていたところ、
「日本語教育」という分野と、
「特別支援教育」という分野に出会ったことにより、なんとか学ぶ意義を見つけ、大学を卒業したって感じです。

いや、こう書くとなんか偉そうだな、
実際の大学生活は、部活で週5でサッカーして、たまに学科の友達とラウンジでアイス食べながらお喋りするみたいな4年間だった。

お世辞にも、勉学に勤しんできたわけではなかったけれど、
一応インクルーシブ教育には関心はあり続けて。
『外国人児童を対象とするインクルーシブ教育の可能性』という仰々しいタイトルで卒論を書いたりなんぞもした。

そして、先日の研修を受けて、
大学時代並びに、2年間の教員時代に考えていた色々がぐるぐると渦巻き始めてしまいました。(真面目モード突入)

インクルーシブ教育とは障害の有無に関わらず、同じ場所で一緒に学ぶ教育のこと。(めっちゃ簡単に言えば!)
障害とは、視覚・聴覚・肢体不自由などの身体的なものもだし、知的な障害、発達障害も含む。(わしはここに日本語の理解が乏しい外国人も含めたかった、ということです)


例えば、
自分たちが幼かった頃には、発達障害なんて言葉はあまり浸透していなくて、(子どもだから知らなかった、というレベルの話ではない)

思い返せば、毎週決まった時間だけ教室を抜ける子もいたし、
病院で検査をしに行ってる、みたいな説明を先生からされることもあったけれど、
みんな「へぇ〜そうなんだ〜」くらいで済んでいた。

担任の先生もその子たちを特別扱いしている風は特になく、みんなと同じ課題をみんなと同じやり方でやらせていたと思う。

今考えれば、
きっと同じ課題を同じやり方でやらせているなんてことはなくて、
その先生特有のスペシャルな技法でその子たちのために工夫をしていたのだろうが、
(いい意味でも悪い意味でも)観察眼の鋭めだった藤田チルドレンもそんなことは全く気づかなかった。


しかし、現在は発達障害に関する学術が格段に増え、世間の認識もかなり広まっている。

もちろん学校業界でも同じで、
発達障害の子たちを掬いあげようと、
毎月のように研修や会議が開かれ、
学校全体で彼らの特性を共通認識とし、
彼らが学校生活でできるだけ困らないように支援体制を敷いている。

しかし、このきめ細やかな支援体制があるおかげで、子どもたちからこんな声も聞こえてくる。

「あの先生(加配の先生)は〇〇くん専用なんだから」
とか、
「○○ちゃんは、これはできなくていいんだから!座ってて」
とか。

どれも子どらしく優しい、気を遣っての言葉なのだが、なんとなく、モヤモヤしてしまう。

そして、子どもでこうなので、大人はもっと顕著なのも苦しい。詳しくは書かないけど!!
何度発狂しそうになったことか!!!!😤


とは言いつつも、自分も
2年間の教員時代にこういう学級経営をすればよかった、こんな授業をすればよかったというのは、今でも夢に出てくるくらい猛省しっぱなしなのは事実。(ちょっと盛ってる?)

勤務校の特別支援の先生方ともかなり打ち合わせを重ねたし、めちゃめちゃ相談もさせてもらった。
でも、やりたかったこと・やるべきことの半分もできてなかったなぁ、うーん、、、

特別支援教育の免許を持ちながら、通常級の担任をする意義とか、
外国人児童に関する専門性を持ちながら担任をする意味とか、
なんで大学の時にもっとちゃんと勉強しとかなかったんだろうとか、
教員を辞めた今、自分にできることはなんだろう、とか、


色々と考えてしまった。




青年海外協力隊に合格する前は、
塾の開業に向けて準備を進めていた。
2年間協力隊をすることになったので、もちろんそれは中断したけれど、帰国後に塾を開きたいというのは根幹では変わっていない。

駒ヶ根訓練所でも、自己紹介で
Despues de volver a Japon, voy a crear propia compañía en Tokio.
って言ってた。一応。

でも、先日のこの研修を受けて、学び直ししたいなって気持ちもだいぶ高まってきている。
だいぶ、というか、かなり!

大学院って、大学在学中は全っっぅっっっったく興味なかったんだけど(ほとんどの講義に興味がなかったから)

元々勉強するの好きだし、その道極めたい、みたいな性格であることに最近気づき始めてしまった。

あとは、訓練所で語学クラス同じだった人が院卒で、めちゃめちゃ楽しそうに専門分野を語っているのを目の当たりにしたのも大きい。
(本人はあんなところ(院)、二度とと戻りたくねぇ、って言ってたけど)

自分の専門分野を自信と誇りを持って人に説明する、という経験をわしもしたい、と思ってしまった。そう、思ってしまったんだよな〜!


日本に帰った後、わしが学生証をひけらかして学割でカラオケしてても、みなさん、笑わないでください🎤


とりあえず、帰った後のことはさておいて、
ボリビアの学校でちょっとでもインクルーシブ教育に関連することに携われたら嬉しい。

カウンターパートに、
「わしは算数の授業考えるよりも、特別支援教育の方が的確なこと提案できるかもしれん!」って言いたい。

言います!!!!!!!!


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