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漫才論| ¹³⁵漫才でも「コントのようなシリアスで緊張感のある導入」ってありなの❓

漫才は「つかみが大切」とよく言われますが,コントの場合は必ずしもそうではありません。むしろコントでは,はじまってすぐに笑いをとるのではなく,「あえてシリアスで緊張感のあるシーンからはじめる」という手法が好まれるようになってきました。この手法を漫才でやるのはありなのでしょうか?


コントは「芝居」だから成立する

この手法が効果的なのは,コントが「芝居」だからです。十分に見応えのある「芝居」であれば,最初の笑いが起こるまでの時間がかなり長くても成立します。そのかんそれを「芝居」としてみることができるからです。その「芝居」が見応えのあるものであればあるほど,後半の大きな笑いにつながったりもします。いわゆる「緊張と緩和」です。最近では,この導入の緊張感を求めるお客さんも増えてきていると思います

一方,漫才で最初の笑いが起こるまでの時間が長くなると生じるのは,「不安」です。漫才の場合,「わざと笑いが起こらない時間」を求めるお客さんはあまりいないので,最初の笑いが起こるまでの時間が長くなればなるほど,「このネタは全然おもしろくないのではないだろうか?今ものすごくスベっているのではないだろうか?」と,お客さんは不安になってしまいます。後半大きな笑いが起こるネタだったとしても,生じるのは「緊張と緩和」ではなく「不安と安心」というかんじなので,これをわざわざ漫才でやるメリットはあまりないと思います

和牛がM-1でやっていたのは・・・

「M-1で和牛がやっていたのでは?」と思われた方もいるかもしれません。和牛の場合は,コントの導入のような緊張感を作りたくてわざとやっているのではなく,ネタの作り方が丁寧なだけだと思います。「嘘や矛盾が生じないように必要な情報をしっかりと入れる」という意味で。持ち時間が長ければ,最初に丁寧に説明する部分でもボケる時間があるのでそれがつかみになりますが,4分だと時間的余裕がないため,結果的に「つかみがない」という状態になっただけだと思います

和牛の漫才の「つかみがない」「最初の笑いが起こるまでの時間が長い」という部分が,M-1の採点でのマイナス要素として指摘されたりもしていましたし,実際,最初の笑いが起こるまでの時間,少しざわざわしたような空気になっていたと思います。それでも「後半ドカンっと笑いをとるすさまじい展開だったので成立した」というかんじです。和牛のように後半だけであそこまで強い笑いを生み出すのは至難の業ですから,漫才では基本「つかみ」で早めに笑いをとるというやり方がいいと思います

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フィクション漫才『煮豆🌱』-いとこい師匠のテンポで-
作: 藤澤俊輔  出演: おせつときょうた

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藤澤俊輔 (漫才作家/小噺作家)
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