カント『純粋理性批判』を生きる
ぼくはカントの『純粋理性批判』という不可思議な眼鏡を通していきることに決めた。カントがぼくに恋をしたのか、あるいはぼくがカントに恋をしたのかそれは一向にわからぬ。
ただ、ドイツ語の誰かさんの書きこみのある原書を通読したい!という欲望にかられたことは確実なのだ。
世界の物事の見方が違って見えそうな予感がしてならないのだ。理解できないこともあるだろう。浅学の身なのだから。
そのためにはドイツ語の修練やラテン語の修練が必要条件になってくるだろう。その道程は山で例えるならば、エベレストになるだろう。
小説を書くことに息づまりを感じている昨今、カント大先生の教えから光をもらいたいのだ。
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