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父親のこと。

今朝Facebookで知る。昨日父親の命日だったことを。今すぐ辞めたいFacebookだが、こう言う機能はありがたい。

9年前の記事だけど転載します。
父さん、ありがとう。

おはようございます。松の内もなんとなく終わり通常生活になろうとしております。そんな中、昨日亡き父の命日でした。といっても、なにか法要をしたという事でもなくw 大げさな事がキライだった父なので・・・という事にしちゃいました。仏壇に花を手向け手を合わせて終了。

思い返せばあの日、S学館の地下スタジオで撮影をしておりました。日頃携帯が通じないスタジオでしたので、電話はほったらかし。すると「ピピピー」と、一瞬だけ携帯が鳴ったんです。着歴を見ると「実家」から。通常実家と表示される電話には、仕事中出ないようにしていました。なぜなら母が電話好きでしたので話しが長い!w でも、この時ばかりは何故か気になり、担当編集者に「ちょっと一階まで行って電話してきます」と伝え外へ出て実家にコールバック。出たのは姉でした。そんな姉とのやりとりは「お父さん、死んだわ・・・」「そうですか・・・心臓?」「いや、脳だと思う」「はい、わかりました。今、撮影中なので終わり次第戻ります」「気をつけて」こんな蛋白なやりとりでした・・・。

その年の正月はめずらしく実家ですごし、初めて父と酒を酌み交わしました。大会社の重役で社内でも指折りの「呑兵衛」で知られた父、酔うと戦争の話しをするのが大嫌いだったので(大正生まれの戦争体験者)一緒に呑む事は無かったんです。そんな父と初めて呑んだ正月、「今年はイイ正月だったなぁ」と聞いたのが最期となってしまいました。写真をやる事に対して「そんな道楽商売あるか!」とか文句をいいながらもすごく協力をしてくれて、亡くなったあとアタシが撮影した雑誌の写真をスクラップしてくれていたファイルが出てきました。「なんやかんや言いながらアナタの事、応援してたからねぇ」と、母から聞いたのもその時でした。

「死ぬときには子供に面倒はかけない。その代わり金も残さない」
というのが口癖の父。本当にその通りになりました。
家に駆けつけた救急の方も「これはほとんど苦しまず逝った感じでしょう」と、
言ってくれていた様です。最期大好きなタバコを一吹かししてそのまま・・・。

何も恩返しが出来ず逝ってしまった父。
でも、最期いい酒を酌み交わせたのは大きな思い出です。

思いきり精一杯やる。いつまでも見守っていてください。

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