強く優しい存在|すきの「ね」
私は彼女のように強く優しくありたい。
彼女のことを思い出すたびに、私はそうやって心に刻んでいます。
今回はすきの「ね」について、書いていこうと思います!
すきのあいうえおについては、こちらをご覧ください。
⚠今回の「すき」を語るにあたり、後半、動物の死に関する描写を記載します。苦手意識や抵抗感のある方は、読むのをお控えいただけますと幸いです。
すきの「ね」=「ねこ」
私はねこ派です。
基本、動物全般を愛でているけれど、ねこ様は別格。
クリクリな目、モフモフな毛、感情表現豊かなシッポ、そして何よりあのマイペースかつツンデレな性格。
叶うならば来世は飼いねこに生まれて、可愛がってもらいつつ、人間を振り回したいぐらいのことを思うぐらい好きです。
私がねこ好きになったのには、実家で一緒に暮らした1匹の家族の存在があります。彼女は私にとって永遠の推しであり、尊敬する存在です。
だいすきな「もも」
ももは、私が中学生に上がる前に我が家にやって来ました。
まだ12才だった私の両手にスッポリ収まってしまいそうなほど小さかった彼女。私が大学に進学し、家を離れるまでの6年間一緒に過ごしました。
ももは、アメリカンショートヘアーの血が混ざって白黒のトラ柄に、ちょっとだけ茶色が混ざった子。そして短い短いしっぽがチャームポイント。
(ほかの猫さんと比べてすごく短かった)
顔立ちはすごくハッキリしていて、お目目もパッチリ。「絶対アイライン引いてるよ、この子」と思うほどでした。
いまだに誰に写真を見せても、美人さんといわれるもも。
私の自慢の家族です💓
家族や友人以上の存在
中学から高校にかけての多感な時期。
特に、高校は学校に行きたくない時期がありました。
でも、親や友人には言えずにいました。
余計な心配をかけたくなくて。
そんな親や友人に言えないことを、私はももに話しました。
いつもと違う私の空気感を感じると、彼女はちゃんと側で聞いてくれている気がしたのです。
辛いこと苦しいこと、ももの前で話して、自分の言葉に泣いて、なんとか消化していました。
あとから聞いた話ですが、ほかの家族が落ち込んでいるときも彼女は近くにいてくれることがあったそう。いつもと違う家族に対し、彼女はそっと寄り添っていてくれていたのです。普段はクールな彼女が見せる優しさ、はい大好き。
当時の私にとって、ももは家族であり、友人であり、心の支えでした。
その瞬間
大学に進学し、社会人になってからも、時間があれば実家へ出向き、「もも元気かー?」と声をかけ、一緒に遊び、さまざまな話してあげました。
年々大人びていく彼女を見ながら、もしかしたらいつかいつか別れがくるのかもしれない。そして、その瞬間に私は立ち会えないかもしれない。
(私は実家から車で3時間は離れた場所に住んでいるため、その瞬間にはかけつけられないと思っていました。)
だからこそ、ももと会える時間は大切で、とても幸せな瞬間でした。
ももが呼んでくれた
その日の昼頃、父から電話が来ました。
私は胸騒ぎしたのを今でも覚えています。
基本的に私と連絡を取るのは母であり、父から、しかも電話がくるのは、母が伝えにくい話の場合が多かったからです。
「今日は休み?」
「そうだけど、どうした?」
「…ももがね、来週まで持たないかもしれないから、来れるなら会いに来てほしいんだ。」
「わかった。すぐいく。明日も休みだから泊まるわ。」
最低限の荷物だけ持ち、すぐ実家へ車を走らせました。
ああ、とうとう来てしまったと。
偶然にも連休であったこと、そしてちゃんと待っていてくれたことに感謝でしかありませんでした。
ももは私と妹が実家に帰り、少し話をしたあと空に旅立ちました。
最後、呼吸も苦しそうな彼女が家族全員の目をしっかり見つめていたことを、私は一生忘れないと思います。最後まで、私たちが心配そうに自分を見ていることを心配していたのか、もしくは感謝を伝えてくれていたのか、その両方だったのかもしれません。
次の日、ももを見送ったのち、私はほぼ3時間泣きながら(危険すぎる)車を運転して自宅へ帰りました。大好きな嵐の楽曲を聞きながら。
嵐の楽曲、「きみのうた」にこんな歌詞があります。
この曲で嗚咽が止まらなくなって、途中で車を停めました。
虹の橋、命の灯火が消えた動物たちが天国へ行く前に飼い主を待っている場所。そんなふうに斎場でお聞きしました。
いつかいつかまだもっと先のことだけど、
また会うときに、ももの分まで強く優しく生き抜いたよ!といえるように。
私は涙をぬぐいながらも、ももの分まで強く優しく生きていこう。
たまにこんなふうに思い出しています。
次回更新予定:12月18日(水)です!