1本のライフルのむこうに
突然ですが私の手に入れたM1カービン(無可動実銃)について調べたことをここに書き記したいと思います。備忘録的なやつです。
1.個体の基本情報
まずレシーバーにあるシリアルナンバーI.B.M.3652226からわかるようにコンピューターメーカーで有名なI.B.M.が1943年からニューヨーク州ダッチェス群ポキプシー市にある工場で生産した個体だとわかります。ちなみにI.B.M.の創立日が私の誕生日と同じで勝手に運命を感じております。
戦時中生産されたM1カービンは555万1311挺、製造会社は10社にのぼり、そのうちI.B.M.社で生産された数は35万8479挺(S/N 3651520~4009999)全体の約6.3%になります。
いきなりの発見だったのですが、本来メーカー刻印は「I.B.M.CORP」となるのが正しいのですがこれはI.B.M.のみ、さらに下3桁が手打ちになっています。これは極初期に生産された個体にだけ残された刻印でさらに古いものだとすべてのシリアルナンバーが手で打たれていたようです。
さらに当初IBMは1943年10月~1944年2月まで生産を行っていたと言われていたのですがこの個体のバレルにはIBM7-43の刻印が手で打たれています。これは1943年7月に生産が行われていた事を示し、海外を含めて3例目、シリアルナンバーから照合すると現存するIBM製M1カービンでは2番目に古い個体だと判明しました(なんと36万挺生産した中の706挺目!)これによってIBMの生産開始日の通説だった10月をひっくり返す、7月生産の可能性をより高めるものになりました。
2.分解
ここまでレシーバー/バレル/スライダーは一通り同じIBM製と分かりました、さらに分解してみましょう。
このM1カービン実に優秀で先端のネジ部分、ここは銃弾のヘッドを引っかけて回せるようになっており、ここをは外すだけである程度分解できるようになっています。最前線での整備性を考えた実に素晴らしい設計です。
3.トリガーハウジング
次にトリガーハウジングを見てみましょう、それまでトリガーハウジングはスチールビレットを機械加工したものでしたが生産を簡略化するため外周寸法に合わせて削った金属板を銅でロウ付けし熱処理と表面硬化処理を行っています。これは1943年5月22日から採用されたタイプⅣと呼ばれる個体でIBM製の特徴でもあります。(酸化し緑青が出ているところです)
3.ストック
私のストックの材質はウォールナットで出来ており、ほかにはキハダカンバ(樺)が多用されたようです。材料不足によりごく少数クルミやブラックチェリーのストックが確認されているようですがこれはとてもイレギュラーな存在とのこと
形状を見ていきましょう、比較用に置いてあるのはマルシンのエアガンで本物ではありません、まずスライド前面部を覆い隠すように上へ立ち上がった形状の通称ハイウッド
整備用のオイラーを収納兼スリングを通す穴は通称Iカットと呼ばれるラウンドされた穴ではなく大文字のIを象ったものになっており前記したハイウッドと合わせてM1カービンの最初期にあたるタイプAバージョン1の特徴を残しています。
残念ながらストックの摩耗が激しく、どこで生産されたかを示すスタンプが消えています。
ただ唯一ストックの左側面にRIA/EBという刻印が確認できます。これはイリノイ州ロックアイランドにあるRock Island Arsenalを意味するもので第二次世界大戦を生き延びアメリカに返送されたM1カービンとM1ガーランドは1951~1958年の間にこのロックアイランド工廠に集められ消耗した部品は取り換えられ再整備をされました。次の戦争で戦うためにです。
そこで整備の責任を取りまとめていたのがElmer Bjerkeで彼は1947年1月6日に小型武器検査の職長に昇進し、1958年までその役職に就いていました。工廠とBjerkeのイニシャルを取り「RIA/EB」という確認証を押すようになりました。
4.戦後改修ポイント
そのためかこの個体も木製で出来ている上部のハンドガードはガス穴が4つ、幅広になり剛性を増した後期型に
バレルには着剣できるようにバヨネットラグが追加され
リアのサイトも大型化した後期型がマウントされています。
5.総括
以上のように訳80年前の小火器類であっても残された刻印からいつどこで作られていたかが簡単にわかるようになっています、軍服も同様でコントラクトナンバーをたどればどこのメーカーが何年に納品したか全てわかるよう管理されています。
戦勝国だから、と言ってしまえば簡単ですが戦争に勝つために敷かれた徹底的な管理体制、それを実現させた国力が当時参戦していたどの国よりも圧倒的に勝っていたという事を改めて見せつけられたような気がしました。