みつみちゃんのマッチョじゃない鷹揚さがもたらしたものと、ナイーブなミカちゃんが陥りかけている蟻地獄について…スキップとローファー感想2
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第一話に出てくる言葉
これが結構「スキップとローファー」の物語(少なくとも9巻刊行の時点で)を象徴している気がする
みつみちゃんは実家や地元の友達というセーフティネットを持ちつつ、入学初日にゲロを吐いても、勇気を出して後ろの子に話しかけたらちょっと雑にあしらわれたとしても、その後もいろいろ傷ついたり戸惑ったり傷つけたりしてもなおそれでも、「やっぱ楽しまなくちゃ 高校生活」から降りずにがんばってみている
そこがスキップとローファーの肝だと思った
降りてもいい
降りなくてもいい
その選択肢が両方ある中で、降りない方を選んでみること
第二話もまた結構それを表しているストーリーで、牽制かけ気味な言動でみつみちゃんに接するミカちゃんと、それにあんまり気づいてなかったのに結月ちゃんがみつみちゃんにそれを指摘して、少なからず落ち込むみつみちゃん。
(この結月ちゃんの指摘も本人からしたら善意100%なんだろうけど、色んなタイミングが良く無さ過ぎて、ちょっと結月ちゃんのことも感じ悪く見えちゃったり)
なんだかクラスメイト全員に対して疑心暗鬼になりかけたその時、みつみちゃん宛に地元の友達のふみちゃんから電話がかかってくる
「私たちってどうやって友達になったっけ?」
という話の流れから
ふみちゃんは
ということをみつみちゃんに話す
そのふみちゃんとの電話を終えてみつみちゃんは
とふっきれて、クラスメイトとのカラオケでみんながよく知る楽しい曲「トコ次郎のマーチ」を熱唱して場を盛り上げ、それを見て結月ちゃんはみつみと仲良くなりたくなって連絡先の交換をみつみちゃんに提案する
という!!これこそみつみちゃんが"降りなかった"からこそ連なっていった物語だよね…
みつみちゃんが「みんな打算的で私に優しくなくてもうやだみんな嫌いもう帰ろう」で降りてしまったらそこで終わっていたところを「(今はそうじゃなくても)いつかはふみちゃんみたいに仲良くなれる人がこの中にいるかな、そうだったらうれしい」という視線でクラスメイト達のことを見られたからこそ結月ちゃんとこのタイミングで友達になれて
ここでも「やっぱ楽しまなくちゃ 高校生活」という姿勢を取ることを選ぶみつみちゃんの姿がある
好きなシーン
ちょっとナイーブすぎるところのある今の時代に、そういうみつみちゃんのマッチョじゃない鷹揚さって大事なのかも
対人関係の中でちょっともやっとするところがあっても、戦うでも逃げるでもなく、未来にほんのちょっとだけ希望を残してとりあえずそのまま置いておく
変に相手の内心を邪推もせず、決めつけたりもしないで
一方のミカちゃんは志摩くんに彼女の有無聞きたいがために
「志摩くんって映画 見たりする?」と聞き
「たまにね」
と返す志摩くんに
「あ いーなー 彼女とだ」
とカマをかける
志摩くんは
「んー そんなんじゃないけど」
とかわしつつ
「江頭さん もすこし肩の力抜いていいんじゃない?」
「その方がきっと楽しいよ」
と軽く応酬する
ミカちゃんのやり方も別にそれ自体がすごく間違ってるという訳ではないと思うんだけど、ただ志摩くんサイドからしたら過去何度も色んな女子から同じような探りの入れ方をされて嫌になってるところは絶対あるだろう
この時点であんまり快く思ってないみつみちゃんに対してだけじゃなく、仲良くなりたいと思っているはずの志摩くんに対してまでもこういう自己防衛的なコミュニケーションしか取れないところにミカちゃんの悲哀を感じる
ミカちゃんの悲哀の根っこにあるもの、それは「人に傷つけられたことがあって、もう同じ気持ちを味わいたくなくて、そのためにどうしたらいいか」の結論として、相手を傷つけない方よりも自分が傷つかない方を優先させてしまうこと
だと思う
自分の心が傷つかないように先手先手で周囲の他者全員に自己防衛的な発言を繰り返すことで、気づけば自分自身が最も嫌な人になっていく、しかも別にその結果自分も含め周りの誰も全く幸せにならない
という悲哀の蟻地獄に片足どころかもう両足、もしかしたら腰ぐらいまで浸かりつつあって
だから志摩くんの
「江頭さん もすこし肩の力抜いていいんじゃない?」
「その方がきっと楽しいよ」
は牽制とも取れるけど、シンプルに本音だったんじゃないかという気もする
だって実際その地獄から抜け出すためには、ミカちゃんのその完璧な防御の姿勢を自ら解いていくしかないのだから