反抗

僕は兵庫県加古川市の街なかで月一回、学びの場を主催している。
MANABIYA Kakogawa
僕が加古川に生み出したイベント。
なぜ始めたのか。自分の振り返りも兼ねて少しづつ書いていこうと思う。

#13  //////////

突然の異動で心の整理が出来ない僕
いい歳こいたおっさんが夜中に泣いて、どうしようもない気持ちになって、このまま何も言わずに終われないと思った。

そう思った瞬間、布団から出て必死にパソコンに向かった。自分が思っている事、やりたかった事、その先にある会社の未来。社会の在り方。それは研修で学んだ公民連携を僕なりに形にしたもので、成功すれば新しいモデルとして土地区画整理事業をアップデートし、落ち込みの激しい部署に新たな希望が出来るはずだった。先輩から引き継いだ栄誉あるポジションについた僕が、何もしないまま終わるわけにはいかない。なにより、僕を信頼して任せてくれている行政と地域の人たちに顔向けが出来ない!色んな想いを胸に、役員に対するプレゼン資料を一晩かけて作った。

迎えた朝、僕は信頼する先輩に相談した。異動が変わらないのは分っている。でも、何も言わずに異動したくない。行けるとこまで上に伝えていきたいと言った。すると、先輩は「行けるとこまで行ってみ」と言ってくれた。朝イチで所属する部署の上司に課長同席の元でプレゼンを始めた。そして、その内容を役員に説明したいことを伝えた。上司からしたら決まった後にぐずぐず言う困った部下に映ったかもしれない、でも僕の勢いに負けたのか、取り合ってくれることになった。そして、役員への説明。
最初から最後まですべて説明した。そして大きな可能性を秘めていることも。
話し終えたあと、会社の長はこう言った。
「とてもいい話だ、公民連携はこれからのまちづくりにとって大事だし、この事業を続けるのは良いことだ」と
そして同時にこうも言われた、
「そんな大事な事業は部署として取り組むものであり、君一人ですることか?部署全体として取り組むなら君じゃなくてもよいのではないか?」
確かにそれは一理ある。でも、これまで多くの人が異動することで、その人が手掛けていた事業が廃れていっているのを目の当たりにしている。組織は大事かもしれないが、組織の前に人である。人と人とが時間をかけてお互いを知り、信用が生まれ始めて大きな事業が出来る。それをわかっていない。わかっているけど、あえてそう言っているのかもしれない。どちらにしても、言いたいことは言った、だが変わらなかった。来年度4月から僕は事業に関われない。やるだけやった後の達成感でもなく、充実感でもなく、満足感でもない、言いようもない疲れが残った。

そして課題も見つかった。僕が抜けたとき、いまの事業を部署で継承できるか?その思いは広く伝えてはいない。だから、僕は最後に土地区画整理に関わる同僚にプレゼンをした。その時、みんなどう思っていたのか?僕には知る由もない。でも、2年半たったいま、結果は見えている。
あれから、紆余曲折の中で僕が大事に温めた地域は会社から手を離れ、別の会社で事業を再スタートさせることとなった。土地区画整理事業はその後も事業数を減らし、相変わらず先が見えないでいる。部署に活気は少なく、一人僕の思いを継いでくれている後輩だけが孤軍奮闘している。

そう、結局は誰一人として自分事として受け取らず、僕が託したものを感じ取ってもらえず、時だけが粛々と流れ、衰退局面はさらに顕在化していった。それを悪いとは思わない。それはその人たちの感性の問題。

一番の問題は僕にあったと思う。自分がしたい事なら声を張り上げてても最初から宣言すべきだ。言っておけば状況は変わった。現に最後に言ったことで事業の有効性を理解してくれた。問題は言わなかったことにある。会社の役員、部署の同僚。ちゃんと伝えておけばそれなりにサポートがあったはず。結局、自分の詰めの甘さが命取りになってしまった。

3月末、地元に最後の検討会を行い、感謝のあいさつをした。みんな拍手と「ありがとう」の声をかけてくれた。やっててよかった、僕はここで信用を得てきたと思った。と同時にこれから関われないことへの淋しさも同時に襲ってきた。

こうして、使う人のためのまちづくりを目指した僕の冒険はひとまず終わりを告げた。

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