じたばたする日々
僕は兵庫県加古川市の街なかで月一回、学びの場を主催している。
MANABIYA Kakogawa
僕が加古川に生み出したイベント。
なぜ始めたのか。自分の振り返りも兼ねて少しづつ書いていこうと思う。
#03 //////////
使い方を提案できるような土地区画整理事業、事業をアップデート出来ると思いながらどんな使い方が良いか考える日々が続いていた。
・殻を破りながら
社内で業務の方向性について話をしていると、先輩から近隣地域でモールを誘致しながら市街地開発をしている事例を紹介してもらった。僕はその先輩と担当している組織に話を聞きに行った。当時は都市部でのショッピングモール開発はまだ続いていて、近隣の事例でもモール誘致を前提に開発が行われていた。モール側も東日本大震災での経験から被災時の支援や地産地消などCSRを織り交ぜながらモールとしての存在価値を高める方針で出店していた。僕は農業絡みや行政のメリットもあると思ったので、話を聞きに行った先からモールを運営している企業さんを紹介してもらった。
企業さんとの話は楽しかった。20年間、兵庫県の中で行政さん相手にしか仕事をしていない人間が、自分の知らない世界に触れ、いろんな事例から日本各地でいろんなことが起こっていることを知った。僕はワクワクしながら、何か出来るんじゃないかと期待を持ち、行政への提案も行っていった。
でも、法の規制や行政の財政状況、組織の縦割り、いろいろ弊害はあった。その時、僕が頑張れたのは担当する行政職員さんがとても気の合う人だったから。「ええやん、ええやん、面白そうやからやろうぜ!」なんて言う50代のおっちゃんとは思えないフットワークの軽い人だった。そんな行政さんと一緒に地域の人たちに応えたい!企業さんもビジネスではあるが前のめりに話に乗ってくれる。そう思って半年ほど話を進めていたがなかなか上手く進まなかった。その間も地域の人たちと月一回のワークショップをしながら、農業と開発をどう織り交ぜるか?どんな方向性がいいか?手探りの日々が続いていた。
・衝撃との出会い、その前夜
今までワークショップを運営したこともなければ経験したこともない人間がいきなり一年間を通して地域の人たちとワークショップをしながら、事業の形を作ろうとしていた。改めて思うと、かなり無謀というか無茶苦茶突っ走っていたなーと思う(笑)
それは置いといて、先も見えずモヤモヤしながら業務をしていた4年前の秋。仕事が忙しい中で課長から無理やり2週間行けと言われた研修があった。自分に何か得るものはあるだろうとは思いつつ、忙しいさなかに行けと言う課長に少し苛立ちながら行った研修。部署は違うがいま、その課長になって思うと行かせる方も大変だなーと思い。当時の課長に申し訳なく思う。
またまた、話がそれた。
そんな忙しいさなかの2週間、銀杏が色づき始めた11月の初旬に銀杏のまち東京で僕は日本のまちづくりのトップランナーたちと出会い度肝を抜かれた。
(つづく)