(日記)Just monitor
土日の話を分けて日記の数を稼ぐ。
日記の数を稼ぐというのは日記として本末転倒な気もするけど。
Just monitor
廃棄予定のPC用のモニターを譲り受けました。
私の部屋、机そして使用用途と人間性に対して分不相応なサイズのモニターだなあと思いつつ
風邪をひき発熱する体でモニターアームの位置を調整していたら。
もう人間向いてないっすね。
これで液晶モニターをダメにするの人生で3度目くらいなんですよ。
液晶というものの脆さを学ばない。
はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
無償で手に入れたものなんでいいんですけど
デカすぎるなと思っていたのでいいんですけど
廃棄されるはずのものだからいいんですけど
PCリサイクル法で無償で回収してもらえそうなのでいいんですけど
などと適応機制をフル稼働させています。
保健体育の授業は多感な時期に「適応機制」という言葉を学ぶことに価値がある。
適応機制しているときに「適応機制している」と自覚してしまっては意味ないような気がする。
高いところの葡萄は酸っぱい vs 逃した魚は大きい
大丈夫。モニターなんて星の数ほど居るから。またいい出会いがあるよ。
はぁ〜〜~~~~~~~~~~~~
苦渋
会社のコーヒーメーカーのコーヒーが美味しくなった(正確には自分好みになった)
しかし、入れ替えたてだからか、そういう製品なのか、コーヒーを淹れにいくとメンテナンス中であるという事の頻度が増えた。
コーヒーお代わり時にコーヒーマシンがメンテ中だと、僕はコーヒーの紙コップに、隣にあるウォーターサーバーの水を入れて帰る。
これをすると、コップに残ったコーヒーの残滓が極限まで薄められコーヒー風味の水となる。
僕はこれを敗北の味として飲むことにしている。
マシンメンテギャンブルの敗北であり、コーヒーを入れずに席に戻る度胸の無さへの敗北でもある。
しかし、最近コーヒーが美味しくなったのでこの敗北コーヒーもなんだかおいしい。
以前はゴム風船を膨らました時の味がしたのだが、今は普通にうっすいコーヒーの味だ。
前までのコーヒーはコーヒーじゃなかったのか?ゴムを原料にしていたのか?
赤を濃くしても、青を濃くしても行き着く先は黒であるように
足元というのは薄めてわかるものなのかもしれない。