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【モノなし生活33〜44日目】スープのことばかり考えて暮らした


こちらはシンプルライフチャレンジ6本目の記事です。

1本目はこちら→「所持品0から100日間暮らしてみることにした


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【33日目】スープボウル

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29日目にスープのレシピ本を手に入れた。いままでレシピ本といえば気になった料理を選んでその情報を「使う」という感じだったけれど、資源が少ないこの生活なのでレシピ本も小説のように頭から終わりまですみずみまで読みこんだ。いまのわたしにはこの本に書かれていたスープの基本を頭に入れる時間があった。レシピを手に入れてから実際にスープを作るまでに4日。かつてなかった儀式を経た。満を持してスープボウルを取り出し、いよいよ実践する。

スープは回復。いっぱい食べたいし、いっぱい回復したいので大きめの器にする。amabloのレギュラーボウルを出してくる。半径の大きすぎるスープ皿ほど食卓で場所を取りすぎない、ちょうどいいやつ。

持っている調味料は塩と油だけで、最初に作ったのは「白菜の塩しょうがスープ」(by 有賀薫『スープ・レッスン』今日の記事に出てくるスープは全部この本のレシピです)。

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片栗粉とかを使ったわけでもないのにゆるふわな鶏ひき肉。しょうがの香りが白菜の船に乗ってスープの湖をどこまでもすすんでいく。澄んでいて奥深いから、海よりも湖って呼びたい。さっぱりしているのに、肉厚な包容力がある。ベイマックスが作ってくれるスープはたぶんこんな感じ。ふうん……。少ない調味料でここまで連れて行ってもらえるんだな。


【34日目】スプーン

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スープに集中するなら、スプーンは必須だ。クチポールのスプーン、大事にしたいからいままで奥にしまって、普段はどうでもいいスプーンから順に使っていた。でももう今のわたしは腹をくくって毎日とっておきを選ぶ。


【35日目】メイク落しシート

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17日目にファンデーション代わりのCCクリームを手に入れたのだから、本来なら18日目に選ばなければいけなかったアイテム。メイクってメイク落としじゃないと本当に落ちにくい。でも欲しいものが多かったのでずるずると後回しになっていた。できるだけメイクする日を減らして、メイクした日は全身シャンプーでしつこく洗ってやりすごしていた。やっと完璧にリセットできる。メイク落しシートは顔のリセットボタン。

今日のスープは「かぶとベーコンのごちそうポトフ」。かぶをそのまま煮込むとお月様だった。お月見はこれから毎年このスープにするのはどう。うそ、だんごもたべる。あとお月見じゃなくてもたべる。

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【36日目】本『それからはスープのことばかり考えて暮らした』

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吉田篤弘『それからはスープのことばかり考えて暮らした』(中公文庫)

いまのわたしの状態を表しているタイトルの小説。レシピ本もすみずみまで読んでしまったし、読むものがなくなったので本を追加。最初は分厚い本を選んだほうが少ない冊数で長い時間楽しめるんじゃないかと思っていたけれど、「今の気分に合う本を読みたい」という欲望が止められなかった。本を読むよろこびは本を選ぶところから始まってる。そして案の定、今日中に読み終わってしまった。

昔の時間は今よりのんびりと太っていて、それを「時間の節約」の名のもとに、ずいぶん細らせてしまったのが、今の時間のように思える。さまざまな利器が文字通り時間を削り、いちおう何かを短縮したことになっているものの、あらためて考えてみると、削られたものは、のんびりした「時間」そのものに違いない。(吉田篤弘『それからはスープのことばかり考えて暮らした』p.50,51)

わたしがこの生活で考えていたことと重なった。今読んでいる本と自分がシンクロする感覚、これも読書の楽しみのひとつ。ここで書かれている時間論は『モモ』的な感覚だ。わたしがタイムトラベル専門書店をはじめた理由のひとつに、タイムトラベルSFだけじゃなく、こうした身近な時間について考えてみたかったというのがある。

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今日は「焦がしキャベツのスープ」。

「焦がし」が重要。うまみのひとつ。スープがうす茶色なのは、コンソメを入れたからじゃなくて焦げ目の色。焦げ目色のスープって作ったことがなかった。すごくいい。ストーブの前で食べているときのあたたかさがあった。

つまり、スープのレシピというのは、たとえば「H2O」といった化学記号をわかりやすく解いたものと同じなのだ。誰がいつどこで発見したのか知らないけれど、そのレシピがいくつもの鍋と時間を介し、いま自分の手もとの鍋にまでたどりついているという不思議。そんなことにいちいち驚くのは子供じみているかもしれないが、魔女が操る秘伝の術を探し求めるより、よほど手軽に台所で魔法を実感できた。(同前p.114)

スープはいくつもの食卓をタイムトラベルしていま、ここにたどり着いた。


【37日目】羽毛布団

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秋の雨はつめたい。家の中にいても冷たい湿気が体に降ってくるきがする。寒がりなので、秋にはもう真冬の防寒アイテムを一通りそろえたい。軽くてあたたかくてふわふわで、羽毛ぶとん以上に良いものなんてこの世にない。寒い夜はこのあたたかい雲にくるまれば、もう雨もこわくない。この生活では毎日「これ以上いいものなんてこの世にない」と思えるのですごくお得。

今日のスープは「種ごとピーマンのスープ」。しみじみとうまい。30年以上、ピーマンの種は食べないものだと思って生きてきた。子どもにはピーマンの種は基本たべるものと伝えよう。わしの30年分の種をたべてくれ。うそ。何も背負わせたくない。たべたければたべてね。

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塩昆布は調味料なのかも? と思ったけど調味料にはカウントしないことにした。


【38日目】洗濯用洗剤

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とても今更感がある。そうなんだよ、わたしは40日も経とうとしているのに基本的なものをまだ集められていない。それは性格のせいもかなりある。わたしはぜんぜん冷静じゃないし、ひとつのことしか考えられないから、そのとき欲しいと思ったものしか選べない。


【39日目】本『試行錯誤に漂う』

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それでまた、本を選ぶ。歯磨き粉がほしい。

保坂和志『試行錯誤に漂う』(みすず書房)

この生活で最初に手に入れた本、阿久津隆『読書の日記』(NUMA BOOKS)に登場するたくさんの本(あまりにもたくさんの)のなかで、いちばん読みたいと思った本。芋づる式読書が本当に好き。芋づる式になりたいから本を読んでいる節がある。運命が可視化されるみたいなよろこび。同じ作家の作品、小説に引用されていた小説、解説の作家、同じ出版社の本、同じ装丁家。本っていきなりピンとくるものを選ぶのは難しい。そこで読書が苦手になっている人も多いと思う。たとえば日本語で書かれた本をランダムに100冊集めたとして、そのなかで今の自分がおもしろい、と思うものは10冊あったらかなりいいほうで、これぞ! というのが1冊でもあったら本当にすごい縁。でもいちどピンときたもののなかから芋づる式にたどっていけば、ホームラン、ホームラン、ヒット、ホームラン、ヒットみたいなことになる。

そこで、絶大な期待で選んだ『試行錯誤に漂う』が、どうしてもいいよね。2ページに1回ドッグイヤー。ドッグイヤー折り返してわけわかんないのひさしぶり。わー、いま、『読書の日記』にはこの本のことなんて書いてあったかな? と思ってみたら「すべてのページに折り目がつきそうだった」って書いてある。わかりますわかります。遠い会話。

『読書の日記』に引用されていた『試行錯誤に漂う』の一部。これを読んで決定的に『試行錯誤に漂う』を読みたくなった。

まず思うのは自分が書いた字によって自分の考えが書く前には考えていなかったずっと先の方に引っぱられる。が、これは本当のところ書く効用のようなものの中心ではないのではないか。一般には書いた文が書くその人を牽引する、書くその人の考えをまとめる、と考えられているが、そうではなくて、人は書きつつ、書いた字や書くために考えたその考えに誘発されて、いろいろなことが拡散的に頭に去来する。書くことはその去来したものを適宜挿入したりしながら、基本的には一本の流れにまとめあげることだが、書くという経験は結局は書かれなかったいろいろな去来した考えを経験することなのではないか。(…)書くその時間、書きながらその文に誘発されていろいろな考えが頭を過る、いろいろな考えが池に投げた小石の波紋のように複数同時にパーっと広がる、その経験こそが重要なのではないか。(保坂和志(『試行錯誤に漂う』みすず書房 p.53,54)

100日間シンプルライフを実践しながら、それを文章で記録しながら生活しているいまの自分にとって響く一節だった。書けない、書かないことのほうが多いけど、それも含めてもういちど体験しながら、書いている。


【40日目】フライパン

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メイラード反応とは、食品を加熱した時にアミノ酸と糖が結びついて褐色になり味も変化することで、つまり香ばしくてうまい、というやつである。うまみ研究の一環として、焼くことに真剣に注目する。

このバーミキュラのフライパンは熱伝導率が高くて炒め物が決して水っぽくならない。メイラードも最高パフォーマンス。自炊の中国料理率が高いので中華鍋を愛用していたけれど、中華鍋より中華がおいしくできる。わたしにとっては。

単なるもやし炒めもごちそうになるくらい美味しい。このフライパンは宝ものだ。はっきりと味がちがうから、あたらしい調味料をひとつ手に入れたとも言える。

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【41日目】リップグロス

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この日はヨーロッパ企画さんの配信にゲスト出演させていただくことになっていたため、化粧品をもうひとつ増やそうと思った。

唇の色が少し明るくなるだけで顔色がよくみえる。これは今年大切な友人から贈ってもらったもので、手元に置いておくだけでもおまもりになる。


【42日目】ピーラー

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ピーラーは、本当に必要なものか、と問われたらどうしたって二段目にいると思う。包丁でも野菜の皮は剥けないことはない。でも時間がかかりすぎるし、ストレスだった。ストレスは減らしたい。せっかちなので、シャッシャッシャッと処理したい。だから多分二段目にいるようで一段目にいる。段とは?

貝印のピーラー、切れ味がよすぎてほかのピーラーに戻れない。


【43日目】トイレ用洗剤

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家族と共用のため、これまでトイレを掃除しなかったわけではないけれど、掃除アイテムもきちんと数えておこうと思った。無印良品の消耗品のシンプルデザインがいい、掃除してきれいにしたい、っていうときの気持ちとデザインの方向性が重なる。

これを読んでくれている人はお気付きだろうけれど、わたしのこの生活のルールってちょっと曖昧で不安定なところがある。それは2つで1つなんだ、とか、それは除外するんだ、とか、でもそれは数えるんだ? とか。自分でも迷いながら決めている。ルールは大切だと思う。でも、一番大切なことではないのかもしれない。中心はルールよりも、暮らしを見つめ直すことそれ自体で、家族に迷惑をかけすぎたり、続けられなくなるようなことは避けたい。ちゃんとシンプルライフの手触りを失わないようにやっていく。

これってルール的にどうなの?とか気になってもらえることはいいことで、一切気にならなかったらそれはそれでつまらない。だからこのことについて言及しようか迷った。しかし例えばここで下着のことは話したくないとか、記録する上でのややこしさであるとか、人間なのでいろいろあるので、せめるような角度じゃなく「あたたかく」見守ってもらいたいと思う。あたたかく見守ってください、ってすごい定型文なのでとっくに温度を失っているかもしれないけど、温め直して本当の意味で言いたい。


【44日目】木べら

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炒めるとき、箸でもできるけどちがう。材料を転がすときのコミュニケーションがちがう。わたしはもっと、肉や野菜に、まるく、面であたりたい。ようやくしっくりきた。

それで、知らなかったんだけど、鍋の上に木べらを置いておくと吹きこぼれないらしい。

ここのところご飯を炊くのはもっぱら鍋なので、さっそくやってみた。きっちりはからなくたってご飯と同じ量の水を入れればおいしく炊けるんだけど、毎回吹きこぼれてたから。

本当だわ。

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いよいよ炊飯器がいらない。木べらますます愛す。木べらっていうかこれ、質感的に竹なのかしらん? 自分の道具について知らなすぎる。いま調べてきたけど竹だった。じゃあ木べらって呼ぶのおかしいか。「竹製の調理ヘラ」だそうでした。持ち物について最低限説明できたり、知っていたい、自覚的すこやかな生活を送りたい。


1週間書くタイミングをのがしたら日々がたまっていて、でももう5000字になってしまったので、この辺で一旦終わります。まもなく折り返しです。最近感じるのは、自分が思っていた以上に服に執着がない。果たして。


続く


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