開店はしてみたものの(自分の話2)
昨日に引き続き自分の話です。
しばらくはお店のことになります。
2008年10月に無事サウンドトレジャーイノウエを開店。
開店してみたものの、資金が乏しくこれといって目立った宣伝活動もしていなかったのでお店に一人佇む毎日。
主な販売ルートはネットオークションでしたがそっちもイマイチで1ヶ月もしないうちに「あれ、これはヤバイ感じじゃないか?」と思うようになりました。
全く売れない訳ではないがよく売れるわけでもない。
近所の方から「ギターのレッスンをしてくれませんか?」と頼まれて数人ですがレッスンをさせて頂くようになり何となくお店をやってる感はあるものの収入としては控えめ。
そうしているうちに生活のほうも困窮してきました。
仕方なく早朝は大手運送業の支店で、夜から深夜にかけて居酒屋チェーン店でアルバイトをするようになりました。
昼頃から夜までお店、それ以外の時間はアルバイト。寝るのは午前9時から12時くらいまで。
母親からは商売をやめるように説得され、父親からは日々脅され、金融業の皆さんからは毎日のようにお電話を頂きながらも「これをやめたら生まれてきた意味がない」と本気で思っていましたのでしつこく続けました。
アルバイトをしていても生活が苦しいのは変わらず、パートで家計を支えてくれていた当時の奥様も次第に疲れ果ててしまって遂には離婚となりました。
そして更に奥様と住んでいたアパートの家賃も滞納しすぎて退去するよう管理会社から連絡が入りました。
なかなか急でした。
「明後日までには空けてください」と。
親や友人にお願いしてなんとか引越しというか、引越し先のない引越しをして僕はお店の2階に寝泊りすることになりました。
開店から3ヶ月くらい。
この頃が最もシュールな生活をしていました。
携帯か電気かガスか水道のどれかが止まっているのが普通。
セットで止まっていることもありました。
お店の家賃のほうも滞納しがちで、レッスン中に家主さんが来られて「家賃いつになったら払うつもりだ」と催促を受けたこともありまして、これにはなかなか困りました。
ある日ガスが点かないのを不思議に思ってガス屋さんに電話をしたら、ガス屋さんが言いました。
「料金をお支払い頂いてないですよね?」
「おー!そういえば!」
全然「そういえば」な感じではありませんでしたが当時の僕には「そういえば」だったのです。
しばらくこのようなスタイルでのらりくらりとお店屋さんごっこを繰り広げていたところに、面白いお客様が遊びに来てくれるようになり、ここから経営が上向きに変わってきます。
続きはまた明日。
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