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白昼百物語 十五話目~不幸のメール

高校生になって携帯電話を買ってもらった。スマホではなくガラケーである。それでも友人と連絡をとれることがうれしかった。ラインなどももちろんまだなく、電話かメールである。メールが何度も行き来すると、メールの題名にFwが何個も続いた。そして小学校のころからあった不幸の手紙もメールバージョンになって存在していた。何人に送らなかったら不幸になる、や送れば幸運が訪れるが送らなかったら……など内容は大抵似通っていて、親しい友人の間のたわいもないお遊びだった。少なくとも私の周囲ではそれで大きなトラブルになった記憶はないし、それを本当に恐れていた子はいなかったと思う。
あの不幸の手紙の存在理由はなんだったのだろう。別にねずみ講のようにどこかに金銭が発生するわけでもなく、ただ恐怖とか面白半分とかちょっとしたやっかみとか、それくらいの小さな感情で拡散されていく。今のSNSの拡散の原理ともまた違っているような気がするし、拡散されたことで配信元の承認欲求は満たすことができていたのだろうか。
あの時出回っていた不幸の手紙に効力はなかったと信じたいが、一つだけ怖い思いをしたことがあった。
不幸の手紙より質の悪い、その恐怖のメールとやらには、今のスマホの画質では考えられないような荒い画像が添付されていて、それは首吊りをした人を遠くから撮影したような画像だった。おそらく誰もがそれを悪質ないたずらだと思っていたし、嫌だなとは思ったものの、本気にしていた子はいなかっただろう。私も気持ち悪いと思ったものの、そのメールの存在はすぐに忘れて、誰かに送るようなこともしなかった。
その晩、自室で布団に横になっていると、ベランダ側のガラス窓からコンコンと爪の先で叩くような硬質な音が聞こえた。虫でもぶつかったのだろと思っていたが、その音は移動しながら続いている。そしてなぜか窓を通り過ぎて部屋の壁の後ろから聞こえ始めたのだ。壁の向こうは分厚い外壁で、その向こうを叩いても部屋まで音が聞こえてくるはずもない。しかしその音は私の部屋をぐるぐる回るようにして続いている。おそるおそるカーテンからベランダをのぞいた。コンコンという音が窓に近づいてくる。
私の足元でガラスがコンコンと響いた。しかし、そこには虫もなにも見えなかった。
私は布団にもぐって耳をふさぎ、そのまま眠ってしまった。朝にはもう音は聞こえなかった。
あのとき、大量に出回った不幸のメールは、スマホの時代になって消えてしまったが、どこかでひっそりとまた誰かが見つけてくれるのを待っているのかもしれない。

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