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4代目を志すきっかけとなった おばあちゃん(2代目)との思い出②
富士の湯4代目の阿部憲瑞(あべのりみつ、通称AbeNori)です!
前回からかなり時間が経ってしまい申し訳ありません💦
今回は僕の小学生〜高校生ぐらいまでのおばあちゃんとのエピソードをお話ししたいと思います!
是非フォロー🤝といいね👍をしていただければ幸いです!🙏🙏🙏
小学生、中学生時代
おばあちゃん家(富士の湯)の近くに引っ越してきた僕たち家族は、前よりも増して富士の湯でお風呂に入るという生活になりました。また、僕が低学年の時は、家の鍵を持っていなかったこともあり、学校からおばあちゃん家に帰って帰宅後は真っ先に富士の湯のお湯に浸かっていました🛀
今考えるとまじ贅沢ですね。。。羨ましいぞ小学生の俺!
そして高学年から僕は家の鍵を親からもらえるようになり、学校からそのままおばあちゃんの家に行くことはなくなったけど、その代わりに家族で富士の湯に行って浸かる時間は多くなりました。今までは家族バラバラでお風呂に入るという感じでしたが、3代目の親父と一緒に背中を流し合いっこして湯船に浸かるのが多くなりましたね。(まあ、今もなんですけど笑)
家族みんなで閉店間際に行って風呂に入った後、掃除をして帰る。そんなルーティンでした。当時富士の湯は23時までおばあちゃん1人で営業をしていたので結構遅い時間に掃除をしていたと記憶してます。いや、すごいよな、おばあちゃん、80歳すぎて風呂業務をこなしていたんだもんな〜、、、
中学生になり、部活が始まっても継続して風呂に入るのは富士の湯、掃除もいつもしていました。
そんなある日、学校で友達と談笑している時に
『え!?お前の家ジェットバスないの!?、それが普通なの!?』と言ったら
「お前気づくの遅すぎ、、実家が銭湯ってすごい事なんだぜ?」と友人に言われて改めて実家が銭湯ということの尊さを感じましたね。
高校時代
この頃になると高校でバンド活動に精を出していたこともあり、僕はあまり富士の湯でお風呂に入ることは少なくなっていました。
3代目のうちの親父とよく喧嘩もしてましたね
3代目「お湯が沸いてるのに何故家の風呂に入る!もったいない!富士の湯に入れ!」
俺「だってバンドの練習が!ライブが!そっちの方が忙しいわ!」
うん、わかる、わかるよ、当時の俺、、、でも一言言いたい、、、、
すっっっっっっっっっごくもったいないぜ!!!!!
風呂屋の事を勉強してから毎回この出来事を思い出すと本当に後悔しかありません。だって銭湯のお湯を沸かすのって物凄い手間と労力がかかるし、正直な話、コストもそこそこかかります。家のお風呂よりも広い浴槽に何故入らなかったんだ!と今になっては悔やむばかりです😭
でも、部活が忙しくてお風呂に入れなかっただけで、おばあちゃんの事を嫌いになっていたわけでもなく、超絶おばあちゃんっ子だった僕は休みの時は風呂掃除だけはずっと続けていました。
高校2年生ぐらいからおばあちゃんが体調を悪くし、親父がお湯を沸かし始めたのもちょうどこの頃でした。もっとおばあちゃんの作ってくれた湯船に入っておけばよかったなーといつも後悔しています。。。
今回はここまで、次回は大学時代、そして2代目女将のおばあちゃんが亡くなってから僕が富士の湯を継ぐ決意をした出来事についてお話しできればと思います。