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「勉強しても意味ないじゃん」の 理解されないだろう 大人の答え

たまに
学校の先生や 親御さん達 から

「分数(微分積分、古文や漢文など)なんか知らなくても生きていけるじゃん」

とか…

「勉強しても意味ないじゃん」

とか…

子供達が いうのよ~・・・ 
なんて 話題を 振られる ことがあります。


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この話題に 関しまして、

おそらく・・・

私が思うに・・・

こども達が いうことは、「正解」だと思います。


確かに、それらを知らなくても、生きていけますからね。

 
ボウフラ や ミジンコ や 魚 や サル 等も…
生きている
のですから。


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人間は、
絶対普遍の死 というものがある以上、
生きているというか、自然や地球、宇宙といった全体的なものに、

その種として「生かされている」

ということ なのだろうと 思います。



「生かされている」のですから、
人生の 目的や 意味を 考えるのは、不毛の ような気が しますが・・・



人間として 生かされている 状況の中で、

やはり、
人間としての「高み」
に 数ミリでも 上に 登りたい
と 思うのは、
当然のことだと思います。


そして、
そこからの 眺めを 実感したいと 思うのは、
すごく 自然のこと です。


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たとえば、
A君と B君を 比べた時、
全ての 条件は 全く同じで、
唯一の違いが A君が「分数の計算ができる」
ということ だとしますと、

「人間の幅」「人間の深さ」といった 人間としての 卓越さ で 優劣をつけますと、
もちろん A君に 軍配が あがりましょう。

もちろん 他の条件が 全く 一緒という 条件では ありますが。


また、
ひとつのことを 知っていると、
そのことが、その先の何十、何千、何万・・・といった事柄に、
さらに 影響して いきます。


知ってるか・知らないかで、
世の中の見え方や、自分の感情や、周囲の人の状況、情報の集まり方、生活内容、可能性の広がりなど、
未来が 大きく 変わります。


角度が 一度違えば、
年月が たつに したがって、

それが、
何度、何十度と 個人に 差が でるということは、
想像するのに 容易なことです。


簡単にいうと、そういうことで、
知らないより、知っているほうが
断然 良いのです。


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ということで、
学校というものは、
その「人間としての高み」の ある程度の 場所まで、
「何も考えないで」連れて行ってあげるから、
このバスに 乗りなさい

と言って くれている ようなものだと 思いますので、

道を 考えずに、高みに 挑みたい ならば、
そのシステムに 便乗する のが、
お得だ
と 考えられるのでは ないでしょうか。


しかし、
人間としての 高みに 挑む方法は、
星の数
ほど ございます。


先程の A君B君の例では 分数のことを知っている以外は「すべて同じ」条件で話しましたが、
実際には そんなことはありません。


みんな 自分の得意 とする 分野で、
意識・無意識に限らず、
「人間としての高み」
に 少しでも 到達しようと しているのです。

(例え 家で 1日中寝ているだけでも、それを したことがない人にとっては その体験から得るもの については 実感することが できず、その境地を 知ることが できない と思います。)


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つまり、

結論 としては…

みんな、
それぞれ、
自分の好む形で、
「人間としての高み」
に 臨めば 良い
だけの 話なのです。



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ただし、
それが、
様々なもの との 関係の中で、
受け入れられるか、受け入れられないか、
個を 存続させる 条件を 満たすことが できるのか否かは、
また 別の話です。



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