スポーツ界を覆う日本の闇
最近話題になったものだけでも色々ある日本のスポーツ界。何十年も続けてきた悪い習慣が一気に噴出してる感もありますが、表に出てきているのは一部な気もします。全国を見渡せば「わたしのところも」というところは多くあるはずで、「こんなことをいつまで続けるのか…」とも感じます。
スポーツにおける暴力や威圧の問題は、なんとなくで「時代だよなー」で片付ける人も多いのが現状です。特にOBなどの反応は顕著で、傍から見れば”老害”としか思えない反応をします。こういう人たちが組織として上位の立場にいるのも大きな問題ですが、なぜどの組織においても似たような反応が出てくるのでしょうか。
問題の根っこは、スポーツだけでなく日本の教育にある「型」偏重の教育システムと、それに疑問を持ちながらも、ある程度の結果を残せている故に発生する親や教師の間違った指導理念です。
「型」偏重の教育システム
どんなスポーツにおいても、誰もが一度は通る「型」があると思います。野球で言えばバットの振り方、サッカーで言えばトラップの仕方などなど。こういった基礎の技術は、さまざまなやり方がある中でも、最初は”一般化”されたやり方を教わるはずです。これは構いません(というか良いことだと思います)。
そして、基礎を身につけた後にやるのが自分なりのやり方の模索です。日本の教育は、ここに"過剰"に介入してしまうことが多いです。やれ「自分はこの方法で成功した」だの、「この方法で全国へ行った」だのと御託を並べて、そのやり方を押し付け、そこからはみ出す人がいようものなら圧力かけ、最悪の場合は暴力で支配しようとします。
コーチの暴力問題などは分かりやすくこれです。審判の判定問題も根っこは同じで、結局は自分の判定に口を出す若者が気に食わないだけです。暴力か威圧かの違いはありますが根っこは変わりません。もちろん、コーチや審判側にも譲れない「型」はあるかもしれません。ただ、教育の場やプロの試合においてあんなやり方で支配しようとする姿は、誰が見ても違和感があります。それに苦言を言い切れないOBや専門家(を装った洗脳された詐欺師)も問題ですが、なぜこんな事がまかり通るのでしょうか。
勝利至上主義
上のようなことがまかり通る。それが起こるのは、”勝利至上主義(勝つことが目的)”になっているからです。
「勝つことを目的にして何が悪い」
と、お思いの方もいるでしょう。多くの大会の仕組みもそうなっていますから(今は)否定はできません。行き過ぎなければそれもいいです。しかし、スポーツや体育にある大きな目的は、それによる”人としての成長”です。それが忘れ去られているのです。
東京オリンピックの開催自体に疑問だった私ですが、ひとつの場面に目を奪われました。女子スケートボードの決勝です。そこでは、着地に失敗した選手に他の選手たちが駆け寄り、健闘を讃えあっていました。
「これこそがスポーツ」
私はそう思いました。
これに関しては、「多様性」というキーワードで報道され、多くの国や人種がクローズアップされました。ただ、ここでの多様性は、それが中心ではありません。勝った選手も負けた選手もなく讃えあった中にあったのが「多様性」です。この意味をとらえきれていない人が多く残念でしたが、多くのマスコミも同じレベルなのでしょうがないのかもしれません。
また、最近になってひとつのニュースが希望をもたらしてくれました。それは、小学生柔道における個人戦の全国大会中止です。それについてコメントした室伏さんの言葉には、重みと何かが変わりそうな希望を感じました。
よくわからない人もいるでしょう。しかし、勝利至上主義に違和感を持っている人も多いと思います。そう思うのなら、なぜ自分がそう思うのかを考え、その答えを基に行動してみてください。多くの勝利至上主義者から反発はあると思いますが、子供たちにそんな未来を残したくないのであれば動くのは”今”です。
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