作品を批判されて命を絶った作家の話

合評の難しさ、で思い出したのですが。

学生のころ、友人が田之頭ゼミだったのですが、合評がヒートアップして喧嘩みたいになり、ゼミに行きづらくなって、所属ゼミを変更せざるを得ず、阪井ゼミに引き受けてもらった……という出来事があったそうです。

ちなみに、当時、私は木村ゼミにいて、木村先生のおっとりとした口調とお人柄もあり、合評はなごやかで、平和に過ごしていました。

それで、友人の話を聞いて「ええなー、文学っぽいやん、もっとやれー」と思っていたのは、私が明治・大正・昭和初期に活躍した日本文学の作家たちに思い入れがあり、いわゆる「文壇」で揉めているのを読んで、憧れていたからでしょう。

夏目漱石とその門下生たちの「木曜会」とか、武者小路実篤や志賀直哉の「白樺派」とか、創作に一途なひとたちが集まって、文学とはなにか侃々諤々の議論をしているのが、文学少女の心にはびりびり響いたのですよ。

文学観のちがいといえば、芥川龍之介と谷崎潤一郎の「筋のない小説」をめぐる論争が、文学史上に残るものとしてあります。

ふたりが『改造』に発表した文章を時系列でまとめた『文芸的な、余りに文芸的な/饒舌録ほか 芥川vs.谷崎論争』(講談社文芸文庫)を読むと、芥川の死後に、谷崎が書いた追悼文が掲載されていて、胸がきゅんきゅんするのです。

出来てしまったことをあとになって考えると、ああそうだったかと思いあたる場合が幾らでもあって、なぜあの時にそこへ気が付かなかっただろうと今更自分を責めるけれども、もうそうなっては取り返しがつかない。わが芥川君の最近の行動も、今にして思えばまことに尋常でないものがあったのに、君がそう云う悲壮な覚悟をしていようとは夢にも知らなかった私は、もっとやさしく慰めでもすることか、いい喧嘩相手を見つけたつもりで柄にもない論陣を張ったりしたのが、甚だ友達がいのない話で、故人に対し何とも申訳の言葉もない。          「いたましき人」谷崎潤一郎より

私が考察するに、芥川が死を選んだ動機は「働きたくない」「家族の生活を支えなければならいという重圧に潰された」「原稿料のために小説をたくさん書くことに疲れた」あたりではないか、という気がしています。

作品を批判されて「それを理由に」命を絶った作家だとは断定できず、作品を批判されて「そのあとに」命を絶った作家の話なのですが、真相は藪の中です。

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