レポート:盲目の私
私は産まれてこの方、目が見えない。
ということが実は、最近分かった。
というのも、私自身が不便を感じることなく、ここまで生きてきてしまったからだ。
先祖が関わっていた方に資産家がいたようで、援助していただいていたようだ。
もっとも、今は縁が切れてしまったようなのだが。
親が身を削って、私を育てていてくれた。
そして、私はそれを知らずに生きてきた。
私が社会に出たとき、それはやっと違和感になったのである。
周囲が「普通」にできることが、できないらしい。
社会から棄てられた。友人から棄てられた。
「普通」ができなかったから。
私はとっくに孤立していたのに、周囲が気を遣ってそれを隠していてくれた。
その結果、私自身がそれを知らずに生きてきてしまったのである。
聞く人によっては、なんとも滑稽な話だ。
でも、私はいたって真剣だ。
いつだって真剣だったのである。
さて、盲目だということが発覚してからの私だが。
社会に受け入れられず、もがいていた。
どこかからお金を調達しなければ生きられない。
福祉に関わる人たちから、様々な情報を得て、支援してもらう。
しかし先のことは何もわからない。暗闇である。
政府が、市町村が、方針を換えたら、支援してもらえなくなるかもしれない。
その恐怖から、より一層ニュースに耳をすますようになった。
自分が生きていられる市町村を探して、住む場所を検討する。
私が自分でやるしかないのだ。
今は支援してくれている親も、いついなくなるかわからないのだから。
同じことを考える顔も知らない仲間とともに、自分に有利な自治体に集まって、私は生きている。