ジル・ドゥルーズ著「フランシス・ベーコン 感覚の論理学」英語版の序文を読む

英訳本には著者による序文(6ページ)が含まれている。この序文は原本にも日本語訳にも含まれていないが、著者自身による的確な要約となっているのでその内容を検討する。

冒頭、Deleuze はベーコンの絵について「叫び」 scream を描いているという。一般にベーコンは「恐怖」horror を描いていると見なされているが、それは絵を見るものに生じる感情であって、絵に描かれているものはではない。描かれているのは「感覚」sensation であり、率直にいうと神経活動である。

ここで「叫び」 scream とか「感覚」sensation と呼んでいるものは、内側から発する見えない力 the invisible forces が肉体 flesh を揺り動かしているのである。ベーコンは叫んでいる姿を通して肉体に作用する見えない力を描く。描こうとしているのは力であって姿ではない。この点にベーコンの独創性がある。

ベーコンの絵に特徴的なのは広く画面を占拠する単色の平面だ。これが図(肉体)に対する地である。この単色の平面が線によって区切られ、絵の骨格となる。その上に描かれる肉体が地である平面と響き合う。

ベーコンの絵では図も地も奥行きを欠き、平板である。奥行きがあったとしても浅い。肉体は狭い空間の中で押し潰されそうだ。圧迫され、肉体は逃げ出そうとする、あるいは実際に消え失せる。

ベーコンはセザンヌの手法を引き継いでいる。すなわち色彩を何種もの触感を使って変調させる。色と手触りが作用し合う。しかし、この方法には図と地の区別がつきにくいという問題がある。地が図と同じくらい主張する、また図と地の対照性が薄れ、図が地に埋没する。

この問題に対し、ゴッホが背景を単色で塗り潰す方法を、ゴーギャンが人物を濁った色で塗る方法を見出した。ベーコンはこれら二人の画家の手法を引き継ぎ、発展させている。

絵の骨格が作用して地は部位ごとに異なる強度をはらむ。色彩がその強度を反映し、質感を帯び、響き合って生気を放つ。図となる人物は内から吹き出す力によって容貌を変え、力が肉体を変形させる度合いが地図の等高線のように、あるいは気象図の風力のように標される。

図と地は緊張関係にある。押し潰される空間の中で諸々の肉体が暴れ、地が応えて共振する。そこからリズムが立ち上がる。それが真の図像 figureである。すなわちベーコンは絵に力を通して絵全体を震わせている。その時、単色の平面は狂乱のリズムをまとめ、整える役割を果たす。

というように私はこの序論を読んだ。ベーコンの絵はリズムアンサンブルである。リズムについて語る時、Deleuzeがメシアンに言及していて、それは興味深いのであるが、私はラヴェルについて考えていた。

最近、ラヴェルの夜のガスパールに取り組んでいるのだが、Deleuzeがベーコンについて語っていることがこの曲によく当てはまる。奥行きのない平板さはOndine を支配する変化の少ない和音の連続に当てはまる。それは湖面の揺めきを表しているからだが、それにしてもそれで一曲を通すのはなかなかのものだ。それからScarboを特徴づける太鼓の連打についても同じことが言える。

変化の少ない和音の連続や単音の執拗な連打はこの曲において地を形成する。平べったい、しかし質感の豊かな空間の中で水の精や地の霊が泳ぎ、飛び回っていると考えると、この曲をどのような枠に収めたらいいのか、なんとなく見えてくる。

要するに版画なんだろう。ゴッホが浮世絵を模写し、ラヴェルが好んで収集し、部屋に飾った。平面を震わせ、リズムを鳴らすこと。絵が生きものとなって声を上げること。あるいは音楽が叫びとなること。絵や音楽が媒体であることをやめて存在となる。Deleuzeがメシアンに注目するのはベーコンと同時代を生きたからだが、先行者に目を向ければゴッホやラヴェルがいる。

一方でリズムといえば、メシアンを通してインド音楽が影響しているわけで、これが妙に自分の今を表現している。なぜかというと夜のガスパールを弾き出したのはインドリズムの教室に通ってハンドドラムを叩き出した影響が大なわけで、ベーコンの作品はそんな自分の気分によく合っている。ベーコンの絵からリズムが演奏できる気がする。

Deleuzeはそんな自分に一つのヒントをくれた。要点は押し潰された空間、浅さ the shallow depthだと。この本の主題は器官なき身体であるが、それよりも視覚と触覚が作用しあう領域をリズム概念とともに示してくれたのがありがたい。

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