クソどうでもいい仕事の理論
ブルシット・ジョブ - クソどうでもいい仕事の理論
デヴィッド・グレーバー (著), 酒井 隆史 (翻訳), 芳賀 達彦 (翻訳), 森田 和樹 (翻訳)
出版社 : 岩波書店 (2020/7/30)
スピノザ読書会後の雑談でデヴィッド・グレーバーが話題となり、自分も著作の何冊かを読みたい本の棚に入れてあったので、これを選んで読んでみた。たまたま高熱と喉の痛みで床から出られない日が続いたので、熱にうなされつつ4日で読み通せた。
著者を知ったのは新聞の書評で別の著作「万物の黎明」が取り上げられていたからである。他にも著作があることを知るが、「ブルシット・ジョブ」(以下では BSJと記す)というタイトルに惹かれ、1冊目をこれにした。「クソどうでもいい仕事」が多いなぁと思うからである。
冒頭から6年間、仕事をさぼってスピノザ研究者となった役人の話が出てきて、おっ、ここでスピノザにつながるのかと期待したが、その線は延びなかった。しかしデヴィッド・グレーバーの考えはスピノザと親和性が高い。この点について最後に述べる。
世の中全般、IT化が進んで仕事の効率が上がり、労働時間が短縮されるはずだった。1985年にPCが普及しはじめた時、事務作業が楽になるだろうと期待したし、1990年にインターネットが普及しはじめた時は電話の応対がなくなって仕事に集中できると期待した。技術革新がある度に雑用から解放されると期待し、裏切られ続けてきた。
技術が導入され、ある程度仕事が効率化されると、即座に何かが新たに導入される。上や横からの干渉度合いが増し、報告の頻度が高まり、仕事の進め方が煩雑になる。本質的な仕事に集中する余裕が生まれるはずだったのに、管理し・管理される工程が増えただけだった。
なぜほどほどのところで管理を止めて、本来業務に集中しないのだろう。グレーバーによれば、それは本来業務を持たない人たちが失業しないよう、彼らに新たな仕事を割り当てなければならないからだ。
私は大企業で働いた経験があるのでこの理屈が理解できる。遠回りになるが理屈をこねてみる。100人で月に1億円を稼ぐプロジェクトAと10人で同じく月に1億円を稼ぐプロジェクトB、どちらが重要か。正解は前者である、なぜなら多くの雇用を生み出すからだ。私は後者の方が効率的で優れていると直観したから、この回答に戸惑った。
さてプロジェクトAで100人を雇用するとして、これらの人たちが全て100パーセント力を発揮しなければならないかというとそうでもない。50パーセントでも構わない。仕事が分けられるなら分け合った方がいい、その方が大勢雇用できるから。余力の50パーセントは非常時に使ってもらえばよいとしておく。
グレーバーはこういう判断が政治的だと指摘し、経営封建制と呼ぶ。なぜ封建制か。社長を領主としてみよう。領主にとって重要なのは大勢の家来が付き従うことだ。家来は権力の源泉である。仮に一つの会社の中でプロジェクトAのような人数を重視するリーダーとプロジェクトBのように少数精鋭で効率を重視するリーダーが競り合ったら、力を伸ばすのは前者である。後者は優秀だが少数派となるからだ。
リーダーは政治力が増すからよいが、プロジェクトAで働く100人はどうだろうか。本来10人でやれるかもしれない仕事を100人で分けると、一人当たり0.1人分の仕事量しかない。そのような状況で100人全員が「忙しそうに」働いているようにみせるのがリーダーの役割である。まずは100人を階層化してピラミッドを作る。70人を第1層に、20人を第2層に、8人を第3層に、残り2人を第4層に据えよう。
階層が深くなるほど多くの人を招き入れられるのが封建制の特徴である。上意下達の組織だから下層の者は自分の仕事の意味が徐々にわからなくなる。もともと仕事の10パーセントにしか実効がなく、90パーセントは目くらましだから当たり前ともいえよう。なんだかよくわからない仕事が降ってくるのが大企業だ、世間ではそれを余裕ともみるが。
目くらましに効果的なのが数値である。目標を数値化すると達成度が示せるようになる。多くの場合、その数値目標が適切か問わない。基本、目分量だが、根拠を求められれば何かしら数式を見繕う。数式が精緻になるほど、もっともらしくなる。考えた側もそれが真実を映し出しているような気になる。
従順で頭がいい人には暮らしやすい社会である。もともと頭がいいから0.1人分の仕事が秒速で終えられる。余った時間は自分が興味あることに費やす。好きなことをやりつつ、命ぜられたことを一所懸命やっているように見せることも得意だ。頭のいい人はこうして折り合いが付けられる。
さほど頭の良くない人、自分が何をしたいのかわからない人は困難に直面する。上司が優秀であれば「なんだか忙しいけどこの仕事、意味があるのかな」くらいの悩みで済むが、上司に仕事を作り出す才覚がないと、「何も役立つことしてなくてこんなに給料もらっていいのだろうか」と不安になる。「まぁいいさ、上を向いて生きよう」と心を入れ替えれば社畜の誕生である。でなければうつ病になる。
数値を盾に取った化かし合いの社会で割を食うのがケアワーカーである。著者は人の世話をする仕事が低くみられる傾向にあると指摘している。主婦のやること(家事)が給与の対象とならないように、人の世話をすることを無償の行為と期待しがちだ。人を世話し、助けることは働く人に満足をもたらすが、精神的な満足が得られることは「仕事」ではないとの強い自己規制がかかる。
仕事は罰であって、やりたくないことを無理矢理やらされることという考えが支配的だ。我慢したご褒美に給料がもらえるわけだ。これは習慣、あるいは文化的埋め込みであって根拠がない。宗教的心情である。そこから脱するには生きるために働かざるを得ないという状況を完全滅却すればよい。全員に最低収入を保証するのがひとつの方法である。
有効に働くかどうかはわからないが、最低収入を保証することが、BSJの撲滅につながる可能性をみた。私が思うにこの論点はスピノザ的である。BSJをスピノザは許さないだろう。それぞれの人間がおのれの才能を最大限活かすことが定めだからだ。では最低収入を保証する理論的根拠をスピノザは与えてくれるか。
スピノザは全員に最低収入を保証することを是とするだろう。我々は皆、同じ神から発している。神の前で我々は対等である。すべての人はそれぞれの運命を生きる。各人が運命を全うできるよう支援することは理にかなう。
以上で本書のまとめ・感想としておく。なぜIT化が進まないか、その原因がわかっていなかった。経済効率を考えたら推し進めるのは当然だからである。IT化が進まないのは家来や子分を失いたくないからである、領主が。経済ではなく政治の話であるなら明快である。領主が変わらない限り、態勢は変わらない。IT化は進まない。
領主を変えたいかって??0.1人分の仕事をこなして一人分給料もらえるなら文句はない。むしろ積極的に支持だ。たしかに仕事の90パーセントはBSJだが、それを秒速で終えて好きなことをする。私は賢くなった、本書のおかげで。