Spinoza Note 04: Spinoza の essentia は「本質」ではない

Ethica を読んでいく。第1章の「神について」は次の定義で始まる。

Per causa sui intelligo id, cujus essentia involvit existentiam, sive id, cujus natura non potest concipi, nisi existens.

原語のラテン語で恐縮だが、Spinoza の意図を正しく読み取るに不可欠なので最初に挙げた。これを英語にすると次のようになる (R. H. M. Elwes 訳):

By that which is self-caused, I mean that of which the essence involves existence, or that of which the nature is only conceivable as existent.

もうひとつ George Eliot の訳を並記しておく:

By a thing which is its own cause, I understand a thing the essence of which involves existence, or the nature of which cannot be conceived except as existing.

"Per causa sui" はそれぞれ"By that which is self-caused"および"By a thing which is its own cause" と訳されている。日本語では「自己原因とは」と訳される。「自己責任」に似ているので「原因が主語か?」と思うが、主語は「あるもの」であって、それ自身が原因であると述べている。自分が原因であるとは他に原因がないこと、つまり自律していることを意味する。のちに明らかになるがこれがSpinoza の考える神である。

" intelligo id" は"I understand it" すなわち「私にはこう思われる」と訳すのがよいだろう。"I mean" というと「私の意図するところはこうなのだ」と自己主張が入る。Spinoza は個人的見解を主張したりしない。真実のみ述べる。日本語では「・・・と解する」「としか考えられない」と訳している。

"cujus essentia involvit existentiam" の cujus は関係代名詞であり、上記の英訳で”of which”に相当する。これらの解釈では ”cujus essentia” という表現を未だ名付けていない「あるもの」の essentia と理解し、主語としている。ラテン語の essentia を英語の essence と対応付けているわけだが、そのような訳には問題がある。日本語訳で「その本質が」としている箇所である。

essentia をessence (本質)と読むのは英語化したラテン語である。「本質」に相当する用法は1650年代以降のものである(参照)。

the general sense of "basic element of anything" is first recorded in English 1650s, though this is the underlying notion of the first English use of essential.

Etymology of essence by etymonline

SpinozaがEthicaを書きだしたのが1661年であるから "essentia" と書いたときに英語の用法を意識したとは考えられない。あくまでもラテン語の原義で理解しなければならない。そうするとこれは"be"動詞の present particle (現在分詞)だから "being" と理解すべきである。つまりこの箇所は"whose being" と読まなければならない。「その在り様が」と訳すのが適切だろう。

続く"involvit existentiam" は英訳では "involves existence" すなわち 「存在を含む」としている。「その在り様が存在を含む」というと同語反復だが、essentia と existentiam の違いを調べると意味がわかってくる。

essentia はギリシア語からの翻訳である。キケロ Cicero (106 – 43 B.C.) がギリシア語の ousia を訳すときに発案したものとある。

An analogical formation based on esse (“to be”), present active infinitive of sum (“I am”); coined by Cicero to translate Ancient Greekοὐσία (ousía).

wiktionary

Ousia には様々に解釈される。一例は essence あるいは substance である。しかし Spinoza は プラトン Plato や アリストテレス Aristole と異なった宇宙観を示そうとしたからこのような意味で用いていないはずだ。

It was used by various ancient Greek philosophers, like Plato and Aristotle, as a primary designation for philosophical concepts of essence or substance.

Wikipedia

むしろ字義通り "Being" とするのが適切である。ハイデガー Heidegger はそのように解釈している。

Much later, Martin Heidegger said that the original meaning of the word ousia was lost in its translation to the Latin, and, subsequently, in its translation to modern languages. For him, ousia means Being, not substance, that is, not some thing or some being that "stood" (-stance) "under" (sub-).

上に同じ

興味深いのは東方教会における ousia の解釈である。

The generally agreed-upon meaning of ousia in Eastern Christianity is "all that subsists by itself and which has not its being in another"

上に同じ

"all that subsists by itself and which has not its being in another" とはEthicaの第3定義と酷似する。(「実体とはそれ自身のうちに在り、かつそれ自身によって考えられるもの。言い換えればその概念を形成するのに他のものの概念を必要としないものである。」)

さてようやく "existentiam" (存在) に触れられる。"ex"はなにものかから出でること、"sistere"は起立する (to stand) ことである。すなわち何かから流れ出してきて物の形をとることと理解される。"to stand" は Being と解釈される ousia のほぼ反義である。existentiam (存在)は何者かから出でて立ち上がり、そこに居続けるものと解釈される。

from ex (“out”) + sistere (“to set, place”) (related to stare (“to stand, to be stood”))

Wiktionary

元の表現 "cujus essentia involvit existentiam" に戻ると "whose being involves existence" と英訳され、生成流転する「あるもの」から何かが流れ出し (spin off)、そこに物として留まる (to stand)と解釈される。これを「その在り様が存在を含む」といっても伝わらないし、ましてや「その本質が存在を含む」としたら意味不明だ。

Per causa sui intelligo id, cujus essentia involvit existentiam,

「含む」というと全体と部分の関係ととらえがちだが、ここでの involve は「必然的に何かを伴う」と理解しなければならない。だから正確を期すには、「生成流転していることで物を生じさせる」何者かであるとすべきである。そしてこれが「自律している何者か」(Spinozaが考える神)の定義である。
まとめ:冒頭の文(前半)を「神は他に原因を持たない自律的存在であり、常に生成流転して物を生じさせる」と意訳する。「自己原因とは、その本質が存在を含むもの」という訳は(私には)その意味が理解できないから。

参考文献
Paul Wienpahl, The Radical Spinoza,  New York Univ Pr (1979/6/1)
Language and meaning in the ethics. or, why bother with spinoza's latin?, Chris van rompaey, parrhesia 24 · 2015 · 336-66

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