Spinoza Note 17: 真理が現実に合致する

定理5まで進んだところで、公理6を検討する。定理5は公理6に依っており、公理6は直観により真理が把握できると訴えている。公理的方法や論理実証主義では追従できないので、ここで読む側が考え方を改めねばならぬ。公理6は次のようなものだ:

Idea vera debet cum suo ideato convenire.

Eliot訳: A true idea must agree with its object.
Elwes訳: A true idea must correspond with its ideate or object.
畠中訳:真の観念はその対象(観念されたもの)と一致せねばならぬ
高桑訳:真の観念は、その対象と合致せねばならない

いずれの訳も似ているが微妙に異なる。解釈する上で最初に気になるのは、最初の単語 'Idea' と6番目に出てくる単語 'ideato' が何を指すかということ、次に、動詞 'convenire' がどのような状態を記述しているかということである。

最初に出てくる 'Idea' は人が抱く観念だろう。後で出てくる 'ideato' は観念の対象であるらしいが、それが人が抱くものなのか、それともプラトンのイデアのようにどこか他の世界にあるものなのか、よくわからない。「対象」あるいは 'object' と訳されていることからみて、人の外にあるようだが、畠中が「観念されたもの」と注釈しているので、人が抱くものかもしれない。「(人によって)観念された」と補って理解する。

わかりづらいので Spinoza が idea をどう理解していたかを調べてみた。In what sense does Spinoza understand the concept of "idea"? (Spinoza は Idea という概念をどのような意味で理解していたのか?)と聞いた人がいて、それに対する答えである:

This is a pretty big question. For starters, Spinoza defines ideas as
"a concept of the mind which the mind forms because it is a thinking thing."
" I say concept rather than perception, because the word perception seems to indicate that the mind is acted on by the object. But concept seems to express an action of the mind."
 
So ideas are not simply "there", they are formed by a mind (which is itself a complex idea, see e.g. 3p15). Ontologically, ideas are modes of the attribute of thought (1p25c).

Spinoza 曰く:Idea とは精神が形成する「精神に関する概念」である。精神は「考える」のが仕事だから、そういう概念を形成する。
Idea を知覚ではなく、概念と呼びたい。なぜなら、「知覚」というと精神が物に影響されて生じたもののように思われる。「概念」というと、精神の(能動的)活動という含みが出てくる。

回答者による補足:Idea はただ「そこにある」のではなく、精神によって形作られる。Idea は属性「思惟」の様態 mode だ。

日本語では「観念」と訳されているが、「概念」と読めばいいらしい。では後で出現する ideate は何だろう。回答の続きを読んでみよう:

Regarding realitas formalis and realitas objectiva, according to Don Garrett, Spinoza takes this distinction, which has a history in scholastic thought, from Descartes. The formal being of a thing is its existence "outside" of ideas of it, what we would normally think of as its "real" existence, while the objective being of a thing is its existence "in" an idea which is thereby an idea of or about it. Spinoza appropriates this distinction and applies it to the relation between every mode of extension and the mode of thought that corresponds to it, according to the parallelism described in 2p7.

粗訳:スコラ哲学の伝統で realitas formalis と realitas objectiva という用語があって、Spinoza はこれらの用語を Descartes から受け継いだ。前者は外にあるもので、我々が通常言うところの「実際にあるもの」に相当する。後者は内にあるもので、事物に関して我々が抱くことである。Spinoza はこの区別を踏襲し、外延と思惟という二つの属性の mode と捉えた。このことは Ethica の 第2章 定理7 で parallelism 並行説 として説明されている。

Everything has both formal and objective being, including ideas themselves, which exist formally in the attribute of thought, as well as objectively, when they are the objects of actual ideas, i.e. ideas of ideas. Garrett, in his chapter "Truth, Method, and Correspondence", argues that truth as correspondence and truth as internal adequacy are the same relation, considered formally and objectively.

粗訳:すべてのものに、これら formal と objective な側面がある。idea 概念は「もの」だから、同様に二つの側面がある。心的態度の対象として、あるいは具体的思考の対象として、概念は二通りの仕方で形成される。(以下、略)

引用が長くなったが第一の idea は realitas objectiva であり、第二の ideata は realitas formalis であろう。前者を epistemic (認識的)、後者を ontological (存在的)に解釈する。前者は人の内にあり、後者は外にある。

訳者らが皆、ideata を対象あるいは object と解釈しているのは、正しい。ideata と呼んでいるものは外延の mode である。思惟の mode が外延の mode に合致するということなら、確かにこれは並行説だ。

では動詞 'convenire' はどのような意味か。元の意味は come together らしい。二つのものが近づき、一緒になるということだから、agree with と訳すのもいいだろう。一緒にいるが、ひとつになるわけではないから「一致する」(畠中訳)より「合致する」(高桑訳)の方がいい。

我々が抱いた概念が現実と合致する、と公理6を読むことはできた。公理だから、Spnioza はそれを証明しない。自明の理として受け入れることを要求されている。さて、どうする? 第2章 定理7で並行説に言及するから、そこまで待とう。

概念が現実と合致することを仮に受け入れたとして、我々が考えたことが「真の」概念であることをどのように確認するのだろうか。定理5は見た目 mode に惑わされることなく(背後に潜む) substance を直観せよ、という。これは合理思想からすると異質だ。Spinoza は若い頃、「神との合一」に強い興味を抱いたらしいが、神秘主義思想の影響を検討する必要があるだろう。この点については後で言及する。

いいなと思ったら応援しよう!