Spinoza Note 38: 存在と作用(第2群-1 後半)

定理27と26を検討する。これらは各々定理29と28を支える。さらに定理29が33を、定理28が定理32を支える。定理33-29-27の組が物の理を、定理32-28-26が社会の理を司る。

定理27からみていく。

Res, quæ à Deo ad aliquid operandum determinata est, se ipsam indeterminatam reddere non potest.

Eliot訳:A thing which is determined to action by God cannot render itself indeterminate.
Elwes訳:A thing, which has been conditioned by God to act in a particular way, cannot render itself unconditioned.
高桑訳:神によって何かをなすように決定されたものは、自分自身を決定されないようにすることができない

定理33-29-27の組でみてみよう:「P33 ものは現に産出されているのとは異なった仕方で、また異なった順序で神から産出されることが出来なかった。」なぜなら「P29 自然の中には何一つ偶然的なものは存在しない。いっさいは神の本性の必然性から一定の仕方で調整を経て生じ、働く」からである。「P27 神によって何かをなすように決定されたものは、その運命から逃れられない。」(少し文学的に表現してみた)

念を押された感じがする。記述の視点が神から被造物へと変わっていることが特徴だろう。神の力が隅々まで作用していて逃れられないぞと言われている気がする。

続いて定理26をみよう:

Res, quæ ad aliquid operandum determinata est, à Deo necessariò sic fuit determinata ; &, quæ à Deo non est determinata, non potest se ipsam ad operandum determinare.

Eliot訳:A thing which is determined to any action has necessarily been so determined by God; and what is not determined by God, cannot determine  itself to action.
Elwes訳:A thing which is conditioned to act in a particular manner, has necessarily been thus conditioned by God; and that which has not been conditioned by God cannot condition itself to act.
高桑訳:何かをなすように決定されたものは、神によって必然的にそのように決定されたのである。そして神からこのように決定されないものは、自分自身を作用へと決定することは出来ない

「自分自身を作用へと決定することは出来ない」がわかりづらいが、「自分で決められない」ということだろう。同様に3つ組で並べてみる:「P32 意志は自由原因ではなくて、必然的な原因としか呼ぶことができない」、なぜなら「P28 人は他人に影響されて生きる。影響を与えた人も別の人に影響されて生きている。そのようにして無限に影響を与えた人を遡っていける」からだ。「P26 何かをなすように決定された者は、(神によって他人に)必然的にそのように決定されたのである。そして(神から他人から)このように決定されない者は、自分で決められない。」

大体良いが、「神によって」は言い過ぎな気がする。実際には他の人によって決められるから。なので、並べるとき「神によって」や「神から」という箇所を「他人に」や「他人から」に置き換える。それでもこの文はわかりにくい。思い切って、「そして他人に影響されない人は、自分のことを自分で決められない」と訳す。

定理26が物の世界なのか人の世のことなのか曖昧な書き方なのは、これが定理29でも参照されているからだ。定理29を支えるものとして読むときは、「他人に」と読み換えず、「神によって」とそのまま読めばよい。

この項、「存在と作用」と名付けたが、その題でよさそうだ。定理29から26では神の活動に伴って生じてくる物事に焦点が当てられる。ひとつは物の世界、もう一つは人の世だ。物の世界でも、人の世でも、個物が相互に作用しあうけれども、そこには因果の法則が働いており、起きることはすべて必然であると述べている。

物事が生じてくる元に神の活動がある。本稿では essentia を「神の働き」と読むので、このような説明になる。第2群ー1で生じてくるものに焦点を当てたので、次はその元となった活動を検討する。訳書で「本質」と呼ばれていることだ。

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