生きることが愛なのだ。
昨年度末に父を亡くした。
まさに昭和の営業マンを絵に書いたような父だった。
江戸っ子で、弱いものいじめが嫌いで、本当は優しいのに格好つけて優しさを見せない人だった。不器用と言う言葉が似合う、そんな父だった。
気が付いたら、父より背が高くなっていた。あんなに大きかったのに。
幼い頃、自転車の特訓で子供用自転車の後ろ部分を抑えていた、あの広い背中はどこにいったのだろう。ああ、私が伸びたのか。まだ慣れないリクルートスーツを纏い、緊張気味の私の横で、小さくなった父が嬉しそうに笑っていた。
そういうものか、そういうものなのかと。
父が危篤状態になったと聞いて駆けつけた病院のベッドには、記憶の中より二回り小さくなった父が寝ていた。
原因は癌だった。元々癌の治療を受けていたのは知っていたが、高齢のため抗癌剤の治療が体力的にしんどくなって来たらしい。そんな話を聞いていて実家に戻った時、痩せて頬が落ちた姿に驚いた。
私の驚きに気付かず、「帰ったのか。」と嬉しそうに手招きをして、いつものように買い貯めたお菓子を渡してくる。そのお菓子、自分で食べないの?と聞いたら、食べられないんだよなあと非常に残念そうに、呟くように言った。
「食べられないの?」
「抗癌剤の治療がキツくて、食べたくても食べられない。」
「そっか。そうなんだ。」
いそいそと貰ったお菓子を鞄に詰め込んでいると、「藤波。」といつもの声が呼ぶ。
「お母さんのこと、大事にしろよ。」
「うん。」
「兄ちゃんと、喧嘩するなよ。」
「最近はしてないよ。」
「そうか。なら、いいか。」
またいつでも帰っておいで。と笑った父の目が窪んでいる。帰り際に、小さくなった背中に「またくるからね。」と言ったら、ゆっくりと片手を上げた。
そういうものか、そういうものだと。
冷たくなった父の手を握りながら、朝日を待つ。冷たい冬の日だった。
ゆっくりゆっくり刻んでいく呼吸が、時々詰まって思い出したように溜息を吐く。病院に駆けつけると、父はもう虫の息だった。「お父さん」と読んだ自分の声が震えている。視界があっという間に涙で満ちて、頬に滴が転がった。それを見て、ぼんやりと中を眺めていた父が片手で自身の目を覆った。泣いていた。
思えば、父が泣いたところを見たことがなかった。
「感動した」「泣きそうになった」と笑顔で言うだけで、実際に泣いているところを見たことがなかったのだ。また自分の目から大粒の涙が溢れる。お父さん、お父さん泣かないで。ぐしぐしと目を擦りながら言うと、目の前で口が動く。「なくな」の形で唇が止まると、ぱかりと口が開いて、笑顔のような表情を作った。
思わず、神様がいるなら今すぐに自分の寿命をこの人に分けてくれないかと思った。行かないで欲しい、死なないで欲しい。そのためなら私が先に逝ってしまいたい。そんなふうに思うのに、父の呼吸がゆっくりとなっていく。神様なんて本当はいないんじゃないか。
お父さん、お父さん。父を呼ぶ声が震えている。
そういうものか、それでいいのか。
磨き上げた墓跡の前で両手を合わせる。春が来た。
桜の花びらが墓の前まで届き、周りには甘酸っぱい花々と線香の香りが混じり合い、漂っている。
父がいなくなってから、3ヶ月がたった。あっという間だった。
ふと、実家に帰ると未だにひょっこりと柱の影からでも父が出てくるのではないかと期待して、そうではないと肩を落とす。そんなことを何回もい繰り返している。無事に納骨を終え、綺麗になった墓跡を眺め「お父さん」と呟く。答える声はない、それでも麗かな日常の影で、父が笑う。
「藤波の好きなプリン、買っておいたぞ。」
そういって、父が笑う。
そういうものだ、そういうものなんだよ、と。
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父を昨年度末に亡くし、少しずつ前に歩けていることを
書いてみようと、書いてみました。
ふとした日常に、まだ電話がかかってくるんじゃないか。
ふとした瞬間に、実家に帰ってるんじゃないか。
そんなことが頭によぎります。
親を見とるのは子の定めかもしれないけど、
嫌だった。生きてて欲しかったよ。
ただ、生き続けているだけで誰かの支えになるし、
そこにいてくれるだけで感じる幸せもあるんだよ。
それを教えてくれた人でした。
やっぱり寂しいね。
生きていて欲しい。
親にとって誇れる子供でありたいと、心から思います。
そして、たくさんのありがとうを。