コロナ窩によるパートナーシップと仕事の試練を超え、設立した富士なかいま農園と自己紹介
こんにちは。富士なかいま農園スタッフ&ナースのあいさんです。
私は福島県出身で、都内で10年ほど看護師として働いてきました。
主に、食による心と体の予防医療を専門としています。
2022年6月から山梨県富士河口湖町へ移住し、「食の安全」「所有ではなく共有する暮らし」を実践するために半農生活を実践中です。
食が生涯のテーマとなったのは私自身の体質改善がきっかけです。
小6の時、同級生から外見を馬鹿にされ、コンプレックスの塊へ変貌。
色んな化粧品やダイエット食品を試しては失敗する日々。
常に人と比較し、ありのままの自分を愛せず、人付きあいも苦手でした(==;)
転機は大学でニキビを完治させたこと
首まであるひどいニキビに悩まされ、皮膚科で2年通院しても治らない。
ますます自信が持てずにいたのですが、図書館で「食事療法」の本に出会い、実践したところわずか3か月で完治したのです!
「健康の源は食べ物なんだ・・・・!!!」
それから、独学で食事と栄養について学び続け、体が変わることが面白くて面白くて夢中になりました。10代よりアラフォーの今の方が体が軽いです。(写真は33歳でトライアスロン挑戦時のもの^^)
知識が増えたことで自信がつき、気が付けば、子供時代のコンプレックスも許すことができるようになりました。
2人で家庭菜園を夢見ていたのに、流行病とお注射のストレスで別居生活へ
仕事も楽しく東京は大好きだけど、やはり田舎育ち。実家は兼業農家。
いずれは郊外で家庭菜園やって暮らしたい・・・と漠然と思っていたら、メディアによる流行病とワク○ン強制の流れ。
打たなければ働けない空気感、自分が打ちたくないものを他人に行う業務内容。
通常の看護師として働くことが難しくなりました。(本当に免疫を上げる観点から、私はインフル等も接種しないタイプ)
パートナーも同じように仕事に対してストレスを感じており、ぶつかる事が増えました。(この時、それぞれ精神を病むことを経験)
このままでは2人とも潰れると思い、苦渋の決断の末、1年半の別居生活を経験。
私はワク○ンを打たなくて良いバイトを転々し経済的にも困窮。(逆に打つバイトは1日数万円!😂)実家へ帰るにも、ワク○ンのことで両親とぶつかると思うから帰れません。
そのためパートナーも配達の仕事などしながら、お互い1人で必死に都会で生きていました。
パートナーが先に富士河口湖町へ移住。農業ボランティアをして畑を借りる
しばらくして、パートナーが知り合いの紹介で富士河口湖町へ住むことに。
農業をやりたいとは思っていたものの、すぐに畑を借りれた訳ではありません。
地域ボランティアなどをしながら地元農家さんと仲良くなり、移住してから半年ほど経って、信頼できる方から畑を借りる事が出来て、そのタイミングで、本格的に自給を目指して畑をやることに。
私は時々様子を見に行き、住まいである『古民家』の修繕手伝いなどをしていました。
別居から1年以上経ちお互い1人でも幸せを感じる事が出来るようになってました。
このまま別々の道を歩む選択も多いにあったけど、都会を出て活き活きしている彼を見て、私も半農生活したいと思ってましたし、『何かを生み出す』事が楽しいと感じて、私も移住を決めました。
今は、流行病もお注射も人それぞれの解釈があり自由で良いと思えますが、東京にいた頃は深刻に考えていました。
辛かったけど、1人になったのは本当に必要な期間だったと思います。
このような流れで、「富士なかいま農園」をスタートす事になりました。
なかいまとは、古神道の言葉で「過去や未来へ囚われず今を生きよう」という意味。私たちの顧問ドクターである、「矢作直樹先生」が薦めている考え方です。
私たちはインターネットで色んなことを調べられるために、人と比べたり分からないことで悩んだりすることが増えました。
考えすぎると人は「心の病気」になります。そんな時に土へ触っていると、地球のエネルギーによって波動が上がり、心が楽になっていきます。農作業は目の前に集中するので、「今ここ」になりやすい。
(マインドフルネスとかゾーンに入る)とか言いますよね。😊
富士河口湖町は東京から90分です。農業を通して「中今」を感じてもらい、本来の自分に戻れるお手伝いが出来れば良いなと思って、農園の名前にしました。
家庭菜園のレベルではなくなった!笑
まだスタートしたばかりですが、農園の様子やイベント、なかいまに繋がる言葉などを紹介して「半農生活の楽しさ」をお伝えできればと思います^^
(たまに苦労話もあるかも?涙)
農⇒食⇒健康⇒思考⇒行動⇒現実⇒人生。食が人生の土台。
(でも、気楽に生きる事も大事!)
同じ志を持つ人たち、理解し合えるお仲間さんと出会えたらと思っております。宜しくお願いします^^