想像力が試される
桐島聡の名乗りによって、1974年8月30日に起きた三菱重工ビル爆破事件が半世紀の眠りからよみがえってきた。
8名が亡くなり、350名が負傷した。しかし、当時闇に葬られ今も触れられない事実があるという。
三菱重工には爆破予告が届いていた。もちろん公安当局にも伝わったはず。ところが、社内への周知はおろか、なんらの予防措置もとられなかった。昨今の常識からすれば、99%愉快犯と分かっていても、学校は休校となり、催事は中止されるだろう。当時の何でもありの殺伐とした空気からすれば、強行の蓋然性はかなり高かった。なぜ拱手傍観したか!?
なぜ?
ここから先は読者の想像力が試される。