独立国沖縄に行きたい
もう二か月ほど前になるか、テレ朝の「アメトーーク」で「沖縄大好き芸人」が放映された。芸人界の勝ち組が自慢のトークを繰り広げるなか、いずれのプレゼンも面白く、沖縄のすばらしさがよく伝わってきた。彼らにとって沖縄は地上の天国なのだろう。しかしながら、無用老人にはノドにひっかかる小骨がある。はたしてかれらは知るや知らずや、かつて沖縄に生き地獄があったことを。
1999年2月(その後もう一度)、仕事で那覇市に出張する機会があった。それまで自分は観光で沖縄へ行く気にはなれなかった。太平洋戦争末期の沖縄戦のこと、戦後の占領体制、それにつづく米軍基地の負担のことなどを知っていたからだ。
沖縄戦は本土決戦を少しでも遅らせるためだけに、沖縄を捨て石とする(必敗の戦闘という参謀本部の明確な意図をもった)作戦だった。島は焦土と化し、あまたの住民が生きたまま火炎放射器で焼かれた。ガマ(洞窟)に逃げ込んだ母親は「赤子の鳴き声がうるさい」と兵士にどなられ、我が子を手ずからくびらされたのである。軍民を合わせた犠牲者は20万人にせまったのである。
自分ひとりの禁欲は、沖縄の戦後経済にとっては無用無益の律儀だったかもしれないが、とまれ初めて沖縄に飛び、2月に咲いている桜を見て驚ろかされる。金曜日仕事を終え、帰ろうと思えば帰れたのだが、自費で後泊し、翌日定期観光バスの半日コースに乗った。『南部戦跡めぐり』というコースだった。
ひめゆりの史跡、平和の礎(ここには敵味方、軍民を問わず祀られている。靖国との違いである!)も見たが、忘れられないのは司令部が掘った洞窟陣地で遭遇した電文のこと。電文の書き手は、打電ののち数日後に自決した大田実司令官。
『…一木一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄県民斯ク戦ヘリ』
最後のフレーズは有名で、ある年齢以上のひとはだれもがどこかで耳にしているのではないか。残念なのはしかし、ここだけが取り出されて広まったために、続きがあることが案外知られていないこと。電文は続く、
『県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』
一読、ショックのあまりしばらくはその場を動けなかった。
「特別ノ御高配」どころか、…!!
戦後79年、一貫して沖縄に米軍基地負担を強いてきた日本および日本国民はこのことばによって逆照射されている。この間一貫して国政を担ってきた政党には、大田司令官の懇願に応えてこなかったことの説明責任があるだろう。そしてそうした戦後政治を選び続けてきた日本人(自分も勝ち組芸人たちも含めた本土日本人)は米軍基地問題につき責任がある。なんと薄情な日本人!!
大田司令官もおそらく靖国に祀られているのだろうが、自己陶酔にまみれて参拝を続ける心情政治家たちは、たったひとりの英霊の訴えにさえ、結果を出していない。大田司令官は草葉の陰で叫んでいる。参拝はいいから結果を出せと。
かつて同じく政治家の靖国参拝が問題になったとき、吉行淳之介が「要するに靖国の英霊たちは生前と死後と、二度利用されているのだ」と書いたことを思い出す。
特攻作戦だけに焦点が当てられることが多いが、少し戦史を読めば明らかなように、ミッドウェイ海戦の惨敗以後、あの戦争は全体が特攻の構図の中で戦われた(インパール作戦、レイテ戦等々)。参謀本部にも勝つための論理はなく、ただ狂気だけがあった。必敗かつ捨て石の沖縄戦、その延長上に広島、長崎の犠牲者も横たわっている。
後年ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』を読んでさらに衝撃をうける。マッカーサーから沖縄に米軍の基地を置きたいと請われて、表敬訪問のヒロヒトは「どうぞどうぞ、永久に使ってもらってかまわない」(!)と答えたという(もちろん現実は期限付き随意契約のはず…)。
ときは東京裁判進行中。ヒロヒト召喚か免責かが歴史的注目を浴びていたころの話である。開襟軍服姿のマッカーサーと燕尾服のヒロヒトのツーショットを見た方もいるのではないか…
こんな薄情な本土日本人に対し、沖縄の人々はなんと温和で優しく堪え忍ぶのかと不思議でならない。国が国なら抵抗運動や反乱に発展してもおかしくないが、翁長前知事も玉城知事もあくまで遵法的手段で抵抗するのみ。それをさえ本土日本人の一部(いな大多数)は、口には出さないまでも、「わがまま」ととらえているのではないか。
米軍基地問題は現在進行形の負担にとどまらない。一朝事が起きたときには沖縄は、本土防衛のために、ふたたび捨て石とされる運命にある。沖縄が日米同盟の傘の中にある以上、米軍基地から戦闘機や爆撃機が離発着する以上、当然の成り行きである。
よって沖縄人が沖縄を救うには、日米同盟の傘から出る、日米両政府の地政論的ドグマから脱却するしかないのである。自分はたまたま、沖縄に沖縄人自身による「沖縄独立論」があることを知っている。理路は違うかもしれないが、自分は大賛成であり、陰ながら応援している。完全非武装の、よってだれにも侵犯の口実を与えない、島嶼国家の樹立である。
そのあかつきには、是非胸をはって沖縄を訪れてみたいものである。余命と懐ぐあいを鑑みれば、夢のまた夢だが…
最後に、
蛇足の1:拙稿の意図は若い人たちの沖縄行を難じるというものではない。できるはずもない。どころか多くの人が訪沖して金を落とすことは沖縄経済にとって善かもしれない。ただ、沖縄で過去にあったこと、今も進行形で沖縄に強いている負担や犠牲のことを頭の片隅にとどめておいてほしい、とは思う。
蛇足の2:「アメトーーク」のかつてのMC宮迫にどんな非があったかつまびらかにしないが、事実上の永久追放はおかしくないか!? 犯罪者にだってやり直す権利や機会が与えられている。お笑い原理主義の立場からは断然宮迫推しであって、フツー人蛍原の芸(?)やトークには1ミリも笑ったことがない! 粗品とやらも同断!