万太郎の俳句
秋風にふくみてあまき葡萄かな
この可憐でさりげない句の詠者は久保田万太郎。狭い知見の範囲では蕪村に次いで好きな俳人である。俳句史上のビッグネームではないが、万太郎を天才という人もいる(『俳句の天才 - 久保田万太郎』小島政二郎)。小島はまたマイナー・ポエトと呼び、ふだん着の俳句を抒情詩たらしめた俳人と呼ぶ。
同書から目についたものを拾ってみよう。以下カッコ書きは詞書;
「終戦」
何もかもあつけらかんと西日中
(1945年8月15日についての文章にはいくつも接してきたが、俳句というのは珍しい)
灰ふかく立てし火箸の夜長かな
もちふりし夫婦の箸や冷奴
短日やされどあかるき水の上
「雪中庵逝く、その通夜の席上」
少しづつ夜のあけてくる寒さかな
しぐるるや番茶土瓶の肩の艶
小島が「象徴的な美しさが、いや深さがある」という句;
「昭和24年をおくる」
年の灯やとほく廊下のつきあたり
筆者の生地、北陸の海やぼたん雪を思い出させる以下の句は極私的なお気に入りである;
みぞるるやただ一めんの日本海
雪の傘たたむ音してまたひとり
そして、万太郎といえば、という名句;
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり