質量保存の法則を打破する

僕は人が好きです。出会った人間は全て友達になりたいレベルで好き。ライブハウスマンやバンドマンは勿論、ライブハウスラバーの皆様、音楽好きの人、居酒屋の店員さん、たまたま横に座った人、誰とでも仲良くなりたい。でもコミュ力不足が相待って上手くいかない。見た目も相待ってはいると思うけど、それだけは致し方ない。話しかけて頂ければ問題ないのだけれど、会話の緒を掴むのが苦手なので、先制攻撃をして頂ければ、返し刀でザクザク切り込める。切れ味には自信がある。

とまあ、人間が好きで簡単に信頼してしまう私なので裏切られたと思う事は少なくはない。信頼は1秒でなくなる。砂上の楼閣である。信頼を築くには時間をかけ、不確かな「心情」を「信頼」に変えて、それを「信頼性」と呼ぶに値する根拠にしていくしかない。

会話を重ね、時には酒を酌み交わし、議論を深める事、どういう生活感を持って生きているかが判断基準になる。しかし、学校や職場以外などでそう頻繁に話せるかと言えばそんな事はない。それほど皆、暇ではない。

では、どうしよう。「頻繁に会えない人間は信頼に値しない」という生き方をする事は、少しだけ勿体のない気がする。

そんな時、自分の過去の出会いをフルスロットルで呼び起こす。スーパーパソコンを凌駕するレベルの思い出を必死に読み込み書き出す。今まで信頼できた人はどんな人だったかを思い出す。

見た目
話し方
立ち振る舞い
考え方

全てが判断材料。相手がどんな人間かを必死で見る。見まくる。

あとは自分の信頼や愛といった形のない心情を如何に注げるか。「これだけ与えたんだから、これだけは返してくれ」なんて気持ちは捨てた方が良い。信頼はギブアンドテイクでは成り立ちにくい。ギブアンドギブ、だ。返ってきたら感謝の気持ちを持とう

文末の小噺として、騙されるくらいなら信じた方がマシだと僕は今でも思う。騙す方が勿論悪いのは当然だが、騙された方も今までの生き方に問題はなかったのか?どこかで何かをしでかしたツケではないのか。しっかりと等身大で地に足をつけて生きていれば気付ける筈だ。この世の中はコンクリートジャングル、人間サファリである。ライオンもハイエナもハゲタカも毒蛇も毒蟻も五万といる。相手を倒せる力を持たなくとも、偽愛の仮面を見極める眼力さえあれば、草食動物でも生きていけるはずだ。勿論無傷でいられる事の方が少ないのはご存知の通り。

人の心に質量保存の法則は適応しないというお話。

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