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支援とは複雑な関係性をつくること。
久しぶりに悔しかった。だから残しておく。与えられた役割をまっとうできなかった。そう強く感じた講演(シンポジウム)があった。
先日、京都で開催された「若草プロジェクト in 京都 公開シンポジウム」。テーマは「若年女性・少女をいかに地域で支えるか 生きづらさからの脱出」というものであった。
ぼくはその分野に明るいわけではない。しかし二年ほど前から取り組んでいる「ミーツ・ザ・福祉」に関心を寄せていただき、ゲストパネラーとしてお招きいただいた。新しい支援・福祉という文脈でのお声かけであった。
シンポジウムは二部構成(全体で三時間半ほど)になっていて、第一部は鳥居さんという歌人による講演。続けて、鳥居さんとNPO法人子どもセンターパオの事務局長をしている高橋直紹さんでのセッションであった。
■鳥居さん
https://twitter.com/torii0515
■NPO法人子どもセンターパオさん
http://www.pao.or.jp/
第二部は三人のパネラー(ぼくの他にはNPO法人フォロの山下耕平さんとバザールカフェの松浦千恵さんがいらっしゃった)が事例紹介をしつつ、セッションをするという場であった。時間は一時間半ほど。
■NPO法人フォロ
http://foro.jp/
■バザールカフェ
http://www.bazaarcafe.org/
会が進む中で抱いていた違和感に対してなにもできなかった。終始、会は一方的なコミュニケーションになっていた。もちろん、数百人のシンポジウムだったので仕方のない部分はあったと思う。だけど、お客さんはこの間ほとんどずっと聞いたまま。時間は三時間半を超えていた。
ぼくは、コーディネーター/ファシリテーターではなかったけれど、場を変えることのできる一員であった。だけれど、うまくいかなかった。試みようという意識はあったが、完全な実力不足であった。手も足も出なかった感じがした。
それは、テーマに対しての造詣が足りなかったということではなく(それもあるのだけど)、支援や生きづらさというテーマにおいて、それなのに双方向的なつながりを生み出せなかったことに対してである。ぼくは圧倒的に無力だった。それがとっても悔しかった。
支援は一方向的なものではない、とぼくは思っている。注ぎ続けられることには限界がある。与える方もまた然りだと思う。ぼくが今までやってきたことは、関係性を一方向的なものに留めおくことではなくて、そこを開いていくことであった。つないでいくことであった。支援という言葉を使うことはあまりないが、その部分はできる限り意識しているつもりではあった。
ぼくがやっている支援は、現場のヒリヒリしたものではない。けれど、ぼくは自分なりに「コトが起こらないための」予防的な支援をしているつもりであった。網の目のように複雑につながっていくことで救われるなにかがあると信じてやってきた。個別の支援ではない、関係性の支援だった。
終了後、事務局の方にお伝えした。ぼくの力不足でしたと。もっと参加者の人たちも巻き込んで一緒に場をつくりたかったと。もし、来年も呼んでいただけるなら、企画運営から一緒につくらせていただきたいと。そうお伝えしました。
自分の中で忘れてはいけない感覚だと思ったので、文字に残しておきます。
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