課題解決じゃなくて、祈りです(東北芸術工科大学卒業制作展の所感)
この週末は、山形に行っていた。東北芸術工科大学の卒業制作展に参加するためだった。
※東北芸術工科大学
https://www.tuad.ac.jp/
なかでもぼくは、コミュニティデザイン学科の展示を楽しみにしていた。そりゃそうだ、同業種(?)だから。
※コミュニティデザイン学科
https://www.tuad.ac.jp/communitydesign/
以前より、その学科の存在は知っていた。だが、実際に彼らの活動に触れる機会は今までほとんどなかった。しかし昨年、学科生の遠藤百笑さんと知り合い、ウチ(尼崎傾奇者集落)で「失敗展」を開催してもらった。そのことをきっかけに、今回の卒業展示にも顔を出すことになった。
ぼく自身は、恥ずかしながらコミュニティデザインやまちづくりを体系的に学んでいないので、そういったことに4年間携わってきた学生の方々がどんなアウトプットを生み出すのか、とっても気になっていた。
結局、参加させてもらっての感想は、かなりやばい、である。すごい。学生さんによって違いはあるにせよ、みなさんのアウトプットを100とすれば、自分の大学4回生のときの卒業論文は2くらいしかない。それくらいに、やばい。
テーマ設定・課題設定をするところから、企画立案・提案し、実際にプロジェクトとして動かしていく。さまざまな関係機関(関係者)との調整を経て、イベントやワークショップ・活動の準備をし、実施する。実施後は振り返りを行い、データとしてきちんとアーカイブする。その方法が多様で、ツールに落とし込む人もいれば、作品という形でアウトプットする人もいた。いずれにしても、どの展示も面白かった。すごいなあと思った。
展示を見せていただく中で難しいな、と思ったポイントがある。それは、自分の仕事で直面する難しさと同じものでもあった。
①個人の興味関心や想いと、社会や地域からの要請をどうバランスさせるのか、あるいは接続するのかということ。
②課題が解決(緩和)された、あるいは新しい価値が創造されたということをどのように図ればよいのかということ。
①は、主体者と支援者(ファシリテーター)のバランス、と言い換えてもいいかもしれない。当然それは呼応したり、混ざり合ったりしているのだが。一方向的にならないようにするにはどうすればいいのだろう、という問いである。
②は、さらに難しい。「仕事」として行う場合は、クライアントがいるのでわかりやすいが、未知なる仕事に関しては、クライアントの想定が難しい。そうなると、その評価軸自体についても、自分で考えていかないといけない。マネタイズするならこの方法でという正統なやり方はあると思うが、新しい価値観を提示したいという想いやアクションと、現在の想定されうる評価(軸)というものは必ずしも一致しない。そこが大変難しい。
②に関連することであるが、ネガティブな(だと思われている)ものをポジティブなものに転換することは素晴らしいし、自分自身がやっていることでもある。しかし、ネガティブなものをそのままの状態でどう受け止めるか、という場や仕掛けも重要であるように感じた。課題を解決もしないし、活かしもしない、そういう姿勢もあるように思った。
「課題解決じゃなくて、祈りです」
そんな話を聞かせてくれた学生さんがいた。ぼくはその考え方がすごく好きだなと感じる。なぜなら、現代に生きるわたしたちが求めている宗教性のようなものが、そこに組み込まれているように感じるからだ。
どこもそうだけど、答えがない世界で自分の納得を生み出し続けていくのって、難しいですね。とっても素敵な機会を学生のみなさんにいただきました。ありがとうございました。
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