「生き方」なんて、自由に選べないよ
なにを、時代に逆行していることを言っているの。個人の力(個性)を発揮して、やりたいことや好きなことを仕事にしていく。好きな場所で暮らしたいように暮らして、パートナーシップや交友関係のあり方、自分が所属するコミュニティ自体も自分たちでつくっていく。それが今の社会において大切なことなんじゃないの。そんなふうに怒られそうです。
たしかにそうかもしれません。でも、少なくともぼくはそんな風に思えなかった。
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自分のブログでも何度か言っていますが、ぼくの家は父子家庭でした。父親は働きに出ていたので、祖父母が自分の育ての親でした(父親も途中で戦線離脱)。荒れずに済んだのは祖父母のおかげです。笑
ぼくはもともと高卒で仕事をしようと思っていました。通っていた高校が総合学科(ぼくが入学する数年前まで工業高校)だったこともあり、いくつかの求人が学校にきていました。
その頃、夢やチャレンジしたいことなんて、本当に微塵もなかったなと思うんです。諦めていたということもあるかもしれませんが、そもそもなにかを志向する術を自分の中に持っていなかった、選択肢があることすら知らなかった、ということなんだろうと思います。
結局、祖母に進学を薦められ大学に行き、新卒でNPOに就職し、数年後には独立することになったんですが。でもそんな未来が訪れることは、少しも想像ができなかった。10年前のことです。
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この10年のあいだに、本当にいろんな人との出会いがあったと思います。その中で、ぼく自身の「生き方」はある種、関わりの中で共犯的に形づくられていきました。「生き方」を自分で自由につくっていった(能動的に選択していった)というよりも、いろんな人の人生やあり方に触れる中でなんとなく心地よいと感じる方向、なんか大切だなと思うところに流れていったという感じです。能動的なのか、受動的なのか。そういうことを超えた部分にこの一連の流れはあるように思います。
それでもいいんじゃないの、って、ぼくはそう思います。
自分の人生は自分でつくろう!
ライフデザイン/キャリアデザインをしっかりしよう!
ビジョンを描いてバックキャスティングで考えよう!
やりたいことや好きなことを仕事にしよう!
それらは正しい。一面的には全くもって正しいと思う。でも、そこに回収されない「生き方」があってもいいんじゃないの。そうぼくは思っているんです。
自分で選ばない「生き方」。
影響し合う他者との関係性の線がどれくらい引かれているか、それはどれくらい濃くて強くて、薄くて弱いのか。自分の「生き方」を描いていってくれるのは、きっと身近にいるあの人です。あるいは、まだ会ったことのないあの人です。
自分で「生き方」を選ばないというのは、誰かに自分の人生や意思決定を委ねるという消極的なことではなくて、他者と積極的に関わりながらその中で自分の人生を常にリライト・再編集し(され)続けるということだと思います。関わりの中で、なにが立ち上がってくるのかを見続けていくこと。
まあ、そんなことも、多様な関わりの中で単に気づかされただけであって、ぼくがなにもないところからオリジナルに発想したものではないんですけどね。
ちょっとだけ宣伝です。多様な人の「生き方」に触れることのできる「生き方見本市」というイベントをしています。
そこに来てほしい、仲間になってほしい、ということももちろんあるんですけど、たまたまこの投稿を読んでくださった方には、日常の中でそういった関係性の線をたくさん引いておいてほしいなと。それはきっと自分の人生を豊かにする上でとっても重要なことだと、ぼくは思っているんです。
10年後、20年後に「生き方見本市」を一緒に企画したメンバー・仲間、あるいは参加者の方がどうなるのかっていうことが、ぼくにとっては一番の楽しみであって。徐々に未来を一緒につくっていける仲間が増えていくといいなって、心から思っています。
「生き方見本市2019KANSAI」まで、残り10日を切ってきました。まだチケットは数十枚あります(売り切れると当日販売はしません)。気になっている人はお早めに購入してくださいね。一緒に話しましょう。
◯生き方見本市2019KANSAI(9/29)@関西大学梅田キャンパス
https://www.facebook.com/events/1686406011503549/
◯チケットはこちら
https://ikikatamihonichi2019kansai.peatix.com/view