【妄想雑記】黄帝内経の成立に関する仮説について
まず、この仮説は明確な根拠を持つものではなく、私の想像です。
しかし、この”if”を考えると、色々と辻褄が合うのでは?と感じています。
古代ヨーロッパの冷凍ミイラ「アイスマン」が残した経絡治療と思われる痕跡。
離れた地域の伝統医学に見られる驚くほどの共通点。
そしてシルクロードを通じた交易による経済・宗教の交流。
これらを結びつけると、医学もまた同様に世界を巡り、その知識を共有していたのではないかと考えたくなります。
黄帝内経は紀元前200年頃(前漢)から220年(後漢)の頃にかけて成立されたと推定される中国最古の医学書です。
一方で、インド医学(紀元前1000年頃)やタイ医学(紀元前300年頃)はその以前に起源があり、黄帝内経の成立に影響があったとしても時間軸的に矛盾は生じません。
今回はこの仮説を紐解き、黄帝内経の成立背景に新たな視点を投げかけます。
繰り返しますが、あくまでフジモトの想像の物語としてお楽しみください。
アイスマンが示す古代の民間医療
まず、この仮説の着想になった内容が、1991年、アルプス山脈の氷河から発見された「アイスマン」の存在です。
彼の身体には治療の痕跡と思われる意図的と思える火傷の跡や刺青が確認されましたが、その位置は東洋医学で言うところの経穴(ツボ)に偶然なのか?非常に類似していました。
アイスマンが生きていた時期(約5300年前)は、黄帝内経の成立より約3000年も前です。
もしこの治療法がヨーロッパに起源を持つとしたらどうでしょう?
そして、その知識が交易を通じて中国へ伝わり、後に『黄帝内経』として結実したとしたら?
これは私たちに壮大な歴史の連なりを感じさせます。
シルクロードを巡る医師たちの物語
シルクロードは、古代世界をつなぐ生命線でした。
物品や文化のほか、医療知識もこの交易路を通じて交流されたと考えられます。
そして、キャラバンにはしばしば医師が同行していたことはわかっており、その医師団が各地で得た知識や技術を自国に持ち帰った可能性も十分にあります。
『黄帝内経』の問答形式は、このような知識の収集と統合を象徴していると捉えることができます。
岐伯のような医師がシルクロードを旅し、ヨーロッパや中東、インドから得た医療技術を中国に持ち帰り、黄帝との対話としてまとめられたのではないでしょうか?
また、シルクロードの始まりの時期は紀元前2世紀前後とされ、黄帝内経の成立時期とほぼ同じな点も興味深いです。
伝統医学の共通点が示すもの
東洋医学の五行論、タイ医学やアーユルヴェーダのドーシャ理論、さらにはギリシャ医学の体液説。
これらは異なる文化でありながら驚くほどの共通性を持っています。
また、脈診は中医学だけでなくチベット医学でも重視されている点。
さらに五行論の概念が、ヒンドゥー教における五元素説と酷似している点や、陰陽論の概念がゾロアスター教の二元論に一部類似する点も、世界の伝統医療が相互に影響をしていたのでは?と考える要素です。
さらに、フランス発祥のアロマテラピーも、中国の生薬学に共通する点が多く、古代エジプトや古代インドでもその発祥前にすでに植物の力を活用して心身の健康を整える共通の理念を持っていました。
アロマテラピーでは、植物の芳香成分を含む精油を用い、生薬学では自然由来の成分を治療や健康維持に活用します。
これらはいずれも身体・心・精神のバランスを整えるホリスティックなアプローチを重視し、長い歴史に基づいた知識と経験に支えられています。
これは文化や背景は異なっても相互に補完し合う可能性を示しています。
こうした共通点を考えると、これらの伝統医学が独自に発展したのでなく、シルクロードを中心に貿易活動を介して相互に影響を与え、最終的に中国にその知識が集積されたと考えても可能性はあると思います。
黄帝内経に見る知識の集積
黄帝内経を単なる中国発祥の医学書ではなく、世界各地の医療知識の集大成と捉えると、これまで以上にその重要性が際立ちます。
仏陀が布教の旅に医師を同行させた(後にタイ医学の始祖となるシヴァゴ医師)歴史的事例や、シルクロードのキャラバンが各地の文化を持ち帰った事例を考えると、黄帝内経もまたそのような背景で生まれた可能性があります。
例えば、アイスマンが属していたヨーロッパ文化圏の民間医療技術が、中国の体系化された医療知識に寄与したという仮説は、多文化的な交流の物語として非常に魅力的です。
最後に
伝統医学は近現代医学の礎として重要な役割を果たしました。
これらのつながりを考えると、伝統医学は過去の遺産ではなく、今もなお我々の生活の中で生き続け、未来の医療へのヒントを提供する存在であると思えてきます。
歴史のミステリーに思いを馳せることは、新たな視点を得る楽しさでもあります。黄帝内経を通じて世界の伝統医学がいかに影響し合い、発展してきたのかを想像すると、その深遠な”沼”にますますのめり込んでしまいます(笑)
なお、繰り返しますが、これはフジモトの想像の物語です。
異論は認めます(笑)